2014年11月14日 投稿者:河内平野 投稿日:2014年11月14日(金)09時00分33秒 【作品名「タルチュフ」モリエール作】池田先生指導① ~ ⑫ 完結 「二十世紀の喜劇王」チャップリンについては、何度かお話しした。 では、それ以前のヨーロッパの喜劇王はだれか? 投票すれば、おそらく《当選確実》なのが、モリエール(一六二二年―七三年)である。 彼は、フランスのルイ十四世時代、いわゆる《芸術の黄金時代》のずばぬけた「金の塔」の一人だった。 一九八九年六月、私はパリの「フランス学士院」で講演した。 会場となった学士院会議場の壁には、フランスを代表する文化人、芸術家の像が並んでいた。 その中に、同時代のラシーヌ(悲劇作家)、コルネーユ(悲劇作家)と並んで、このモリエールの彫像もあった。 モリエールは、またフランスの《演劇の学士院》ともいうべき「国立劇場」(コメディー・フランセーズ)の、淵源となった人でもある。 別名「モリエールの家」と呼ばれる国立劇場は、モリエールの死後、彼の劇団をもとに創立されたものである。 このように、今でこそ最高峰の芸術家として敬愛されているが、 生前のモリエールはつねに迫害の暴風のなかにいた。 それはチャップリンと同様、世の中の偽善者や策謀家、悪徳の有力者を痛烈に笑いとばしたからである。 「喜劇の職分は、人をたのしましめつつこれを矯正することにあります」 (『タルチュフ』川口篤訳、『世界文学全集、第三期』三所収、河出書房新社) モリエールは、この信念でフランス中に笑いをふりまいた。 人を楽しませるというサービス精神で、人を愉快な気分にさせながら、人を高めることを目的としたのである。 こうして、当時は悲劇よりいちだん低く見られていた喜劇の地位を高めた。 彼が笑いの対象にしたのは、守銭奴、えせ学者、やぶ医者、権力を振り回す頑固親爺など数多いが、 いちばん反響が大きかったのは、えせ宗教家を描いた『タルチュフ またの名 ぺてん師』である。 この作品について述べた一文の中で、モリエールは《えせ宗教家》たちを、こう痛罵している。 「偽りの信仰は疑いもなく最も世に行われ、最も不快な最も危険な悪徳であります」 「信仰の贋金つかいどものうわべをつつんだ一切の欺瞞」(同前) ――と。 世間に流通している信仰の《贋金》ほど危険なものはないというのである。 モリエールが危険を承知で上演したこの喜劇(『タルチュフ』)は、チャップリンにとっての映画『独裁者』に当たろう。 【海外派遣メンバー、各部代表者協議会 平成三年四月十二日(全集七十六巻)】 Tweet