2014年10月27日 投稿者:河内平野 投稿日:2014年10月27日(月)09時54分55秒 チャップリンについてお話をさせていただきたい。 彼は五歳で孤児院に入れられた。 アルコール中毒の父には早く死に別れ、母には養育の力がなかった。 幼いころから、飢えの恐怖と、邪魔者あつかいされるつらさが絶えることがなかった。 しかし、彼の瞳は光っていた。希望があった。生きる強さがあった。 いかなる富よりも大きな富、それが希望である。 たとえ他のすべてをもっていたとしても、希望なく、生きる強さのない人には、向上も勝利もない。 それでは人間らしい人生とは言えないし、幸福でもないであろう。 チャップリンは、息子に当時のことを振り返りながら言う。 「私が孤児院にいたときのことだが、腹をすかせて街かどで、食物をあさっているときでも、私は世界一偉い役者なんだと思っていた。つまり勝気だったんだよ。人に負けたくないからな」(『わが父チャップリン』木槿三郎訳、恒文社)と。 どんなにバカにされても「誇り」を失わないチャップリン。 それは、映画に登場する、あのだぶだぶのボロ服に、ドタ靴、山高帽、ステッキという《放浪紳士》チャーリーの、おなじみの格好に表れている。 彼は、このステッキを手放さない。 どんなに飢えていても。 「これは『誇り』の象徴なんだよ」と――。 彼は自分が演じたいのは「どこの国にもいるような、自分の誇りだけは傷つけられたくないと願っている(中略)平凡な小男」なんだと語っている。(『チャップリン』鈴木力衛・清水馨訳、岩波書店) ――世界の民衆は、ルンペンの格好なのに、山高帽とステッキを離さない愛すべき《放浪紳士》のいでたちだけで、チャップリンの、このメッセージを理解した。 《あれは俺だ! 俺たちと同じ大衆だ! つき飛ばされ、踏まれ、つばをかけられ、 それでも何くそと誇りをたもっている。 俺たちの仲間だ! 人間だ!》と。 【第十五回全国婦人部幹部会 平成三年一月二十三日(全集七十六巻)】 Tweet