投稿者:河内平野  投稿日:2014年10月12日(日)10時05分24秒
またトルストイ自身、「破門」などに少しも左右されない。
微動だにしない。

それどころか、以前にもまして、社会のため、人々のために、心をくだき、働く。
泰然自若として、みずからのなすべきことに努め、励んでいる。

破門から約一ヵ月後の日記には、
「私の生涯の幸福な時期は、私がすべての生活を人々への奉仕に捧げた時であった。
それは――学校、調停、飢餓民救済、宗教的援助であった」(トルストイ全集十八所収)と記している。

私が対談したトインビー博士も、ご自身の信条に対する、当時の権威からの非難にまったく動じられなかった。
一個の「人間」として、悠然と佇立されていた。

トルストイは、大教院の破門の決議に、こう答えている。
「ただ今信仰しているこの信仰より別な信仰に入って行くことなどできないのであります。
私は自分の信仰が疑いもなくいつでも真理であると信ずる者ではありませんが、私はこれよりほかに、もっと単純な、明瞭な、私の知と情とのあらゆる要素に答えてくれる信仰を見出すことができないのであります。
もしもそういう立派な信仰が新たに見つかりましたら、私は直ちにそれを採用いたしましょう」

「私は自分が恐ろしいかずかずの苦悩を嘗めてやっと脱け出て来たばかりの古い信仰へ立ち還ることは絶対にできません。
それは丁度、殻の中からぬけ出して来て自由に空を飛んでいる小鳥が、再びその殻の中へ帰って行き得ないと同じことであります」(前掲書) ――と。

トルストイは、仏教をはじめ東洋思想の造詣も深かった。
しかし、日蓮大聖人の仏法は知らなかった。
民衆を隷属化する教会から決別したトルストイが、この大哲理に出あっていたら、どんなに喜んだろうかと想像されてならない。

大聖人の《太陽の仏法》は、人間を最大に「解放」し、「自由」にする信仰である。
その二十一世紀をリードしゆく偉大な信仰を持った私どもである。
どこまでも大聖人の御精神のとおりに進んでいけばよいのである。

権威・権力の《黒い心》に攪乱されて、旧世紀の奴隷のような《封建的信仰》に逆戻りする必要はない。
抑圧の《暗黒時代》へと逆行するようなことがあってはならない。

ユゴーは「追放」を論じた中で、こう叫んだ。
「人を追放しようとする迫害者は、風のざわめきのごとく空虚である。
しかし、追放された我らの魂は鳥の翼のごとく自由である」(前掲書) ――と。

不屈の人間の「魂の翼」は、風を受けてますます自由になる。
嵐の中で、いよいよ高く飛翔する。
どうか諸君は、この「自由の翼」で、伸びやかに、軽やかに、青春の大空を舞っていただきたい。

 

【全国青年部幹部会 平成三年十月二十七日(全集七十九巻)】