2014年10月9日 投稿者:河内平野 投稿日:2014年10月 9日(木)14時23分53秒 通報 「魔」とは、梵語の「マーラ」の略で、「破壊(はえ、はかい)」とも訳される。 個人の信心を破るとともに、和合僧――信心の団結を壊す働きをする。 魔とは破壊者なのである。 暴力による肉体的迫害や、処罰や処分という社会的制裁、脅迫や情実からの精神的圧迫、利益をちらつかせる経済的誘惑などにより、個人の信心を破壊し、退転させるのは、魔の常套手段といってよい。 ゆえに魔が跳梁する時こそ、いよいよ信頼の絆を強め、異体同心の前進が肝要となる。 「正義の団結」こそ、魔の謀略を遮る防波堤となるからだ。 だからこそ、大聖人は「かへすがへす・するがの人人みな同じ御心と申させ給い候へ」(御書一四八七頁) ――くれぐれも、駿河の人々は、皆、同じお心でおられるように、とお伝えください――と、門下を激励されている。 これは、富士群の上方庄(現・芝川町)に住む三沢小次郎に与えられたお手紙の一文であるが、興津(現・清水市)に住む浄蓮房にも、時期は違うが、まったく同じお言葉の指導をされている(御書一四三五頁)。 このことからも、機会のあるたびに、団結の大切なことを教えられていたことが拝察される。 さまざまな策謀がすべて失敗し、広布の前進を阻むことができなかった行智らは、行き詰まってしまった。 しかし、もはや退くに退けない。 魔がその身に入った者たちは《暴走》した。 【関西最高協議会 平成三年十月十七日(全集七十九巻)】 Tweet