2014年10月6日 投稿者:信濃町の人びと 投稿日:2014年10月 6日(月)18時17分16秒 通報 河内様 激しく納得です。先生をどうみるか。 単なる三代会長か 根本の師なのか。 言葉ではなく、行動です。 今の堕落幹部は、先生、先生 言葉だけで行動が伴わない。 だから信用できない。 必死に妨害している、狂乱の姿をみれば 明白です。 いずれの大難も別々ではない。 関連し、その中で我々は学習し、 鍛えられてきたと思います。 下記で今がどういう時か明快ですね。 先生は“黄金の3年”の開幕にあたり、「深く大きく境涯を開き、目の覚めるような自分自身と創価学会の発迹顕本を頼む」と言われました。万代に続く世界宗教としての基盤を築く“黄金の3年”。なすべきことは、自身と学会の「発迹顕本」です。 日蓮にとって末法万年にわたる衆生を、救い切っていくためには、どうしても「法華経の行者」としての自らの振舞いと「生き方」を、後世に伝え残す必要があると考えていたのではないでしょうか。 そして何のための四度の大難だったのか。 何のための国主諌暁だったのかを、日蓮の「生き方」を通して「法華経の行者」の意義付けを示していったのだと思います。 この日蓮の精神を、現代に受け継いでいるのが「創価三代の会長」であり、その三代の思想です。 あえて創価学会の「大難と諌暁」を表現するならば、 一度目 「牧口・戸田両先生の宗門問題(神札問題)」 二度目 「第一次宗門問題(54年会長辞任)」 三度目 「第二次宗門問題(総講頭罷免・先生と弟子が破門)」 四度目 「創価学会の組織悪との闘争(弟子の戦い)」 となるでしょうか。 師匠が表に出られなくても、師匠は未来永遠に広宣流布の指揮をとられています。 組織全体がもしもダメになった時、弟子一人一人が立ち上がればいいのです。 もう第二次の時とは時代もちがう。 組織の中心者が「こいつが悪だ」と決めなければ、悪とわからないような弟子では厳しい。 組織の指示がなければ、動けない組織依存の弟子では厳しい。 日蓮の時代、命を捨てて、日蓮の思想を厳護したのは名も無き「熱原三烈士」だったのです。 私たち池田門下生は、いかなる時代になろうとも、永遠に「御書根本」であり「創価三代の指導根本」なのです。 Tweet