創価の師弟②

投稿者:河内平野  投稿日:2014年10月 6日(月)09時16分14秒    通報
こんなエピソードがある。
戦前のことだが、初代会長の牧口先生が一生懸命に講義をされているのに、理事長の戸田先生は、よく将棋をさしていたというのである。

周囲の人は、それを見て、「会長は講義、理事長は将棋」と陰口を言い、「不遜極まりない、傍若無人な振る舞いである」と非難した。
しかし、そこには、戸田先生の深いお考えがあった。
当時、厳しく罰論を説く牧口先生についていけず、一部に離れていこうとする人々もいた。
そこで戸田先生は、悠々と将棋をすることで、学会の自由さを示しながら、雰囲気をなごませ、励まし、退転への防波堤となっておられたのである。

また、戸田先生が本当の力量を出されると、他の幹部が《男の嫉妬》を起こすことも見抜いておられた。
戸田先生は、非難も覚悟のうえで、同志を一人たりとも落とすまいとして、あえて、こういう行動をされたのである。
そうした戸田先生の「真実」を、牧口先生だけはご存じであった。
だからこそ、あの厳格な牧口先生が、そうした振る舞いを、決して咎めようとはされなかったのである。

そして重要な問題は、ことごとく戸田先生に相談されていた。
これは、妙悟空すなわち戸田先生著の小説『人間革命』に記されている逸話である。
また、戦後、戸田先生の事業が暗礁に乗り上げた時のことである。
莫大な負債。会社は倒産。給料も、もらえない。人々も去っていった。

しかし、そのさなかで、先生は私に言われた。
「大作、大学をつくろう、創価大学をつくろうよ。いつごろつくろうか」と――。
他の人が聞いたら、何を《ほら話》をと思ったであろう。
苦境という「事実」はどうあれ、この悠然たる心に、先生の「真実」があった。
その壮大なる希望、闘争の一念、絶対の確信――私は知っていた。
私は忘れない。

だが、その先生を、「ペテン師」「詐欺師」と非難する者は多かった。
一時の姿のみで、先生を悪人と決めつけたのである。
先生は、まったく弁解されなかった。
そうした人々とは、あまりにも次元が違っていた。
境涯が、人間としての格が違っていた。
そして「創価大学」は遺弟の私が実現し、年ごとに大発展している。

「事実」といっても、一断面のみ見れば、「真実」とまったく違った様相を呈する場合もある。
また、同じ「事実」を前にしても、そのとらえ方、見方は、人によって異なる。
歪んだ鏡には、すべてが歪んで映る。
歪んだ心の人には、一切が歪んで見えてしまう。

物事を見極める眼力――それは、みずからの《境涯》で決まる。
「利己主義」「保身」「傲慢」「偽り」の人に、偉人の真実の生き方は見えない。
「謀略」の目には、「誠実」も「真心」も「無私の心」も映らない。
まして汚れなき信心の「心」、広宣流布への深き、深き一念を、理解できるはずもない。
ゆえに、いかなる戦いも、断じて勝つことである。
他人の境涯の低さを嘆いていても仕方がない。
まずみずからが、勝って、「正義」を明かすことである。

【第十三回関西総会、第五回兵庫県総会、常勝の花満開総会、県・区代表幹部会 平成三年十月十六日(全集七十九巻)】