投稿者:新宿A 投稿日:2014年 9月12日(金)20時56分24秒   通報
38ページの440項の「やめましょう。」という発言は,その前のページ
の437項,それから439項で,あなたが関西の会員の声を紹介している
ところでなされていますが,関西の会員の声を紹介したあなたの発言は,矢
野氏に対して,評論家活動をやめるように求める趣旨のものだったのですか。
そうではありません。
あなたが関西の会員の声を紹介したのは,なぜですか。
森井青年部長の問いかけに対して,矢野氏が繰り返し詭弁をもって答
えたからです。
森井青年部長の問いかけというのは,この92号証の2でいいますと,どこ
ですか。
31ページの362項になります。
ここで,森井氏は,どのように問いかけてたということですか。
森井氏は,矢野氏が明電工事件で委員長を辞任した後,大変な逆風の
吹いた平成2年の衆議院選挙を矢野氏は,議員を引退したら地元に帰
って,皆さんと一緒に戦いますというふうに訴えて,関西の支持者は
その言葉を信じて,必死で支援をしたと。しかしながら,引退後,矢
野氏はその約束を守らないばかりか,敵対勢力に利用される文春手記
を書いた。そのことで,関西の同志は裏切られたという思いを持って
いると。矢野氏は,そのときの約束を覚えていますかというふうに問
いかけました。
それに対して,矢野氏が詭弁をもって答えたというのは,どこの箇所ですか。
32ページの366項,368 項です。
矢野氏は,何と答えたんですか。
矢野氏は,十分大阪へ帰って,皆さんとともに戦う,約束を果たすつ
もりはあるけれどもと言いながら,その代わり,東京で学会のために
評論家活動をする,自分としては,そういう道を選びたいというふう
に言いました。そういう意味では,関西の同志の約束を果たすことに
ならない。関西の同志の約束を果たすどころか,大阪に戻らないで東
京にいる口実として,寄りにも寄って,学会のために東京で評論家活
動をしているということを持ち出しました。
矢野氏の発言が詭弁であるというのは,どういうことですか。
関西の会員は,矢野氏の評論家活動が学会のために行っているものと
は見ていませんし,事実の上で,学会のためになっていません。それ
を矢野氏は,関西の同志との約束を果たすつもりはあると言いながら,
大阪に戻らないのは,学会のために評論家活動をしてるからだという
詭弁を弄したということです。
37ページ,427項で,森井氏が,「もう大阪には戻ってこられるつもり
はないんですね。」と再度問いかけているのに対して,433項で,矢野氏
が,「戻らないですね。申しわけないです。」,「ただ,私は私なりに」,
「一生懸命, どういう形であれ」というふうにやりとりがありますが,これ
は,どのようなやりとりをしているものなんですか。
これは,森井氏が,矢野氏が関西の同志の気持ちを理解していると,
十分またそれに答えるつもりがあるというようなことを言っておられ
るけれども,実際には,その気持ちを分かっていないと思って,もう
一度,関西の同志との約束を果たすために,もう大阪には戻ってこら
れるつもりはないんですねと問いかけたことに対して,矢野氏が戻ら
ないですねと,申し訳ないですと,私は私なりにー生懸命ということ
で,東京で創価学会のために評論家活動をしていくという詭弁を繰り
返しているところです。
その後,437項で,あなたは関西の会員の声を紹介したということですか。
そのとおりです。
関西の会員の声を紹介することで,矢野氏に何を伝えようとしたのですか。
関西の会員は,矢野氏が東京で評論家活動をしていることを,創価学
会のためとは見ていないし,また,そういうことを望んでもいないと。
大阪に戻れないのは,東京で創価学会のために評論家活動をするとい
う詭弁は,関西の会員には通じませんよということを伝えようとした
ものです。
矢野氏に,評論家をやめるように求めたものではないということですか。
違います。
矢野氏に評論家をやめるように求めたものなんですか,ものでないんですか。
違います。求めたものではありません。
矢野氏が,38ページの440項で,「やめましょう。」と述べたことに,
あなたはすぐに気づきましたか。
いいえ,気づきませんでした。
あなたの発言は,439項と441項,これはつながって発言がされてます
ね。
そうです。私の発言の間に,唐突にやめましょうというふうに矢野氏
が評論家のことを持ち出されましたので,しばらくそれに気がつきま
せんでした。
本件面談の事前の打合せで,矢野氏に評論家活動をやめるように約束させよ
うというような話は出ましたか。
全く出ませんでした。
甲第50号証(謝罪文)を示す
この書面にも,評論家をやめるということは書かれていませんね。
はい,書いていません。
矢野氏は,本件面談以前にも,評論家をやめるという発言をしたことがあり
ますか。
はい,あります。
例えば,いつごろ,だれに対してですか。
平成13年から14年ごろ,創価学会の山﨑尚美副会長,長谷川副会
長,関西の西口,藤原両氏が聞いたというふうに聞いています。
平成13年ごろの矢野氏の発言とは,どのような場でのものですか。
平成13年の春に,矢野氏の母菊枝さんがお亡くなりになりまして,
その葬儀の席上,参列をした山﨑尚美副会長,長谷川副会長等に,母
の死を機に評論家活動の仕事と一切手を切りたいと思っていると,そ
れが母の志を継ぐことになるというふうに語っていたというふうに,
長谷川副会長から聞きました。
甲第113号証(陳述書)を示す
この報告書の2枚目,3枚目,黄色の線を引いているところ,「母の死を機
にこれまでの評論家の仕事と手を切りたいと思っています。これまで契約し
ている分は多少のこりますが基本的には整理していこうと決心しました。そ
れが母の志を継ぐことです。」と。これが,今,あなたが述べられた矢野氏
の母菊枝氏の葬儀の際の発言ということですね。
そうです。
あなたは,矢野氏が以前から評論家活動をやめると述べながらも,評論家を
続けていることについては,どのように見ていましたか。
評論家を続けるかどうかは,ご本人がお決めになることですので,特
段どうということを思ってはおりませんでした。
ところで,この面談の後のほうで,矢野氏が甲50号証の書面に署名をした
場面で,あなたが弓谷氏の発言に対して止めるという場面がありましたね。
はい。
甲第92号証の2(反訳書)を示す
53ページ,622項,ここで弓谷氏が,「矢野さん,恐縮なんですけど,
あの,評論家,やめるっていう。」という発言をされたのに対して,あなた
が623項で,「いいよ,いいよ,ま。」と,こういうふうに止められてい
るんですが,あなたが弓谷氏の発言に対して,このように発言をされたのは
なぜですか。
先はども申し上げましたとおり,評論家をお続けになるかどうかは,
ご本人でお決めになることですので,青年部との確認事項の中に入れ
る項目としてはなじまないと,内容がなじまないので,必要ないとい
う趣旨でこう申し上げました。
仮に,本件面談の前に,矢野氏に評論家活動をやめるということについて求
めようという打合せがあったとすれば,このようなやりとりにはなりません
ね。
そう思います。
あなたは,平成17年当時の矢野氏の評論家としての活動については,どの
程度認識されていましたか。
当時は,日刊ゲンダイに週1回コラムを書かれているぐらいで,以前
に比べると量が少なくなってきたかなというような印象を持っていま
した。
本件面談の中で,矢野氏のほうから評論家をやめるという決意は,自分の本
心からのものであるということを強調する発言はありましたか。
はい,ありました。
どのような発言ですか。
実名で公表することを前提に,秋谷会長に提出した文章を書いたとき
から,自分は評論家をやめることを決意していると。この発言も,評
論家決別宣言と同じであるというような趣旨の発言がありました。
39ページ,452項で,矢野氏が述べている発言,「評論家,決別宣言と
同じことです。」と述べている発言が,今,あなたが述べられたものですか。
そうです。
矢野氏が,この452項の発言で,「それを書いた瞬間から」と述べている
のは,先ほどの甲90号証の「恩義を感じることと政教分離は矛盾しない」
と題する書面のことですね。
そのとおりです。
42ページ,482項で,あなたは,「ですから,こうやってお話しても,
またどっかに書くんじゃないかとか。」と発言していますが,これはどうい
う意味ですか。
これは,当日の面談の模様を,また事実をねじ曲げてどっかに書くよ
うなことありませんねという意味です。
どうして,そのような発言をされたんですか。
矢野氏は,手記を書いたこと自体について誤りを認めて謝罪をされま
したけれども,これまでの話の途中で,皆さんとこうして話したこと
を,違うようなことを言うことありませんよというような,何か含み
のあるような発言がありましたので,二度と文春手記のように,事実
をねじ曲げて書いて,敵に利用されるような,そういうものを書くこ
とありませんねというふうに念を押しておこうというふうに思って,
こういう発言をしました。
矢野氏が述べた,発言した,違うようなことを云々というのは,40ページ
の468項の発言ですか。
ああ,そうです。
このどこの発言ですか。
3行目の「そんな,皆さん方とここで話し合ったことをね。違うよう
なことを言うようなことはしませんよ。」というここのところです。
この今の468項の発言を受けてのあなたの先はどの482項の発言に対し
て,矢野氏が42ページ,485項で「書かないです。」と発言しています
が,これは,今述べた意味でのことを書かないという意味なんですか。
そのとおりです。この面談のことについて,事実をねじ曲げて書くよ
うなことはしませんということで,書かないですというふうに答えら
れました。
42ページ,その後の486項で,矢野氏の息子さんのことにあなたが言及
されていますね。
はい。
これは,なぜですか。
これは,これまでのところで,矢野氏が手記を書いたこと自体の誤り
を認めて謝罪をされ,学会員として頑張っていくという決意を披瀝さ
れましたので,そうであれば,これまで学会員として頑張ってこられ
た息子さんもきっと喜ばれるはずですという意味で発言をいたしまし
た。
矢野氏の息子さん,清城さんとおっしやいますね。
はい。
この方とあなたは,面識がありましたか。
はい,私は学生部の時代から千代田区で活動をしていた息子さんを存
じあげておりましたし,平成14年1月には,それまで何回も激励を
されていた長谷川副会長の面談をされるときに,世代が近いからとい
うことで久しぶりにお会いをしましたし,また,この面談の少し前に
もオーストラリアのブリスベンで大変頑張っておられるという手紙が
来たということで,長谷川副会長からその手紙についてお話を伺って
おりましたので,そうやって頑張っておられるんだなという印象があ
ったものですから,ここで息子さんの話題になったということです。
今の手紙を見たのは,だれからだれあての手紙ということですか。
矢野清城さんから長谷川副会長あてに,地元の組織について,家を会
場に提供したり,いろいろと頑張っているという近況報告の手紙が来
ておりました。
この487項で,森井さんの発言で,「伸ちゃん,同級生です。」と言って
ますが,この伸ちゃんというのは,どなたですか。
これは,矢野氏の長男の清城氏のお嫁さん,矢野伸子さんで,森井関
西青年部長の関西創価高校の同級生,全く同じ年で同世代で関西創価
高校に通っていて,青年部も同世代で頑張っていたという矢野伸子さ
んのことです。
この矢野氏は,この辺の発言で,息子がどうなってもいいのかというふうに
脅迫されたというふうに述べていますが,そのように矢野氏が誤解するよう
な余地はあったのでしょうか。
全くありませんでした。
甲第50号証(謝罪文)を示す
矢野氏が,この書面に署名するのに際して,十分な読む時間が与えられなか
ったと述べていますが,いかがですか。
全く実際と違います。
矢野氏は老眼鏡を取り出して,この中身を確認をされていたわけですね。
はい。ちょっと眼鏡をかけないとと言われて,眼鏡を取り出して眼鏡
をかけて,一読をされておりました。また,1項目ずつ杉山青年部長
と私が確認をして署名をされました。
あなた方が1項目ずつ読み上げられている場面,この場面のこの甲50号証
の書面は,矢野氏の手元に置いてあるものを,あなた方が読み上げてるとい
うことですか。
はい,先ほど写真がありましたけれども,テーブルが私たちの前に置
いてありましたので,矢野氏の前にこの書面を置かせていただいて,
それでそれを読んでいただいて,で,署名をしていただいたというこ
とです。
矢野氏の手元にずっとあったということですね。
そのとおりです。
ところで,矢野氏は,どのような気持ちでこの書面に署名したと思いますか。
率直な青年部の声を聞いて,手記について謝罪をし,これから学会員
としてやっていこうという決意として署名をしていただいたというふ
うに受けとめました。
あなたがそのように思われたのは,矢野氏のどのような言動からですか。
この署名の直前に,これからの私の生きざまを見ていてくれと。私も
根性のない人間じゃないからというような趣旨の発言を矢野氏がされ
ましたので,決意をしてくださったんだなというふうに感じました。
甲第92号証の2(反訳書)を示す
今の発言は,50ページの586項の発言ですか。
そうです。この後ろのほうの部分が,「私のこれからの生き様を見て
おって下さい。私もそんな,あー, 根性のない人間じゃありませんか
ら。」というこの発言です。
この矢野氏の発言に続けて,次のページ,587項で,森井氏が「いや,で
も本当にね,矢野さん,言ったとおりされないと,僕は,伸ちゃんかわいそ
うです。子どももかわいそう。」と発言されていますが,この伸ちゃんとは,
先はどの清城さんの奥さんの伸子さんのことですね。
そのとおりです。
森井氏のこの発言の意味は,どういうことですか。
これは,矢野さんが,それだけの決意をして出発をされるわけですか
ら,その決意のとおり,ぜひ実行していただきたいという励ましの意
味の発言です。
この発言後,矢野氏が家族に危害が及ぶというふうに誤解するような余地は
ありましたか。
全くありませんでした。
本件面談が終わり,当日の話合いについて,あなたはどのような印象を持ち
ましたか。
途中は,話をそらそうとしたり,ごまかそうとしたりする点はありま
したけれども,青年部の率直な意見を聞いていただいて,誠実に青年
部や会員の声を受けとめていかなければならないという気持ちを少し
でも持っていただけたんではないかという意味で,有意義な会談だと
いうふうに,私たちは思いました。
あなたが,矢野氏が有意義なものであったというふうに受けとめたと感じた
矢野氏の発言として,例えば,どのようなものがありましたか。
矢野氏の心にしみる話を聞かせていただきましたというようなことも
言われておりましたし,これまで大変な中,長谷川さんや西口さん,
藤原さんが連携をとって私といろいろやりとりをしてきてくださった
んだけれども,ぜひこれからは,皆さんとも連携をとっていろいろや
っていきたいというような趣旨のお話をしていただきました。
62ページ,732項,ここに矢野氏が,「心に染みる話を聞かして頂きま
して。」,こう発言しているのが,先ほど,あなたが述べられた発言ですね。
はい,そうです。
63ページ,751項,ここで矢野氏が,「個人的にね,まあ,本当にあの,
私か,西口さん,長谷川さん,藤原さんが,ま,いろんな中,あー,私との
接点をね,つないで頂いたと。で,まあ本当に至らん,うー,申しわけない
自分だけども,こうやって,連携をとって頂いて,本当に,感謝してるんで
す。で,しかし,これから,この方々ともひとつ,連携をとって。」と述べ
ているところが,先ほどの連携をとっていただいていることに感謝し,さら
にこれから連携をとっていきたいと述べていた矢野氏の発言ということです
か。
そのとおりです。
本件記事が掲載されたことについての,あなたの気持ちを述べてください。
私たちは,創価学会青年部の後輩として,矢野氏は,草創の青年部の
大先輩でありますし,公明党の要職を歴任された。そこには,私たち
の父や母の懸命な支援という戦いがありました。その真摯な思いを分
かっていただきたいという思いで,面談をしましたけれども,そのこ
とについて,何か矢野氏や家族にまで危害が及ぶような脅迫があった
というような,全くの作り話をするということについては,そして,
そうして私の名誉の傷つけたということについては,到底許しがたい
というふうに思っております。

原告代理人(成田)
甲第90号証(「恩義を感じることと政教分離は矛盾しない」と題する原稿)を示

先ほど,土下座の発言のやりとりの中で,恩義書面の中でも,矢野さんが自
ら書かれているという発言をされましたが,3ページ,「○会社を首になる
ことは学会を傷つけること,だと叱られる」と,ここのところに土下座云々
の話が出てくるんですか。
そうです。
この真ん中ら辺ですね。
はい。7行目ですか。要するに,何か活動が忙しくて会社をサボって
いたと。上司に怒られたんで,辞めますと言ったら,先輩から「『会
社を首になるような人間は,学会幹部も首だ。それが嫌なら会社に土
下座しなさい』と言われ,びっくり仰天した。しおしおと会社に戻り,
詫びを再三入れ,何とか復帰したが,バツの悪い思いだった。」とい
うふうに書かれてますね。
甲第49号証(「お詫びと決意」と題する文書)を示す
この甲49号証が,この前に秋谷会長から青年部のほうで文案を作れと言わ
れて作った文案がありますという話でしたね。その青年部の作った文案と,
この甲49号証というのは,内容は全く同じものですか,違いますか。
いや,全く同じものではありません。
あなた方から見れば,不十分な点はあった。
ありました。
だけれども,一定の評価はした。
そういうことです。
こういうお話でしたね。
はい。

以上