投稿者:だいせいどー 投稿日:2014年 9月10日(水)07時16分51秒  
信濃町の人びとさんへのお返事です。

先生を師と仰ぎ進まなければ、進む道を誤る。
それが54年問題ですものね。
心して拝する指導ですね。

> 長いですが熟読し自分の行動が師匠の心に適っているのか、何を根本とさているのか。
> よく考えて欲しいものです。
>
> ・師弟不二の道か
> ・師弟の道か
> ・単なる師匠利用か
> ・師匠すらない人生か
>
> 2008年2月2日付 聖教新聞
> 各部合同協議会での名誉会長のスピーチ 下-1
> 青年よ大指導者と育て
>
> 50年前師から弟子への遺言「あとはお前だ。頼むぞ!」
>
>  一、戸田先生は、女子部に指導された。
>  「苦しい環境にあっても、その環境に支配されてはいけない」
>  現実を、必ず、いい方向に変えていけるのが、信心の福智である。生命力が弱いと、環境に支配され、目標を見失って流されてしまう。
>  御本尊への真剣な祈りで大生命力を奮い起こし、今、自分がいる環境を動かしていくの
> だ。
>  先生は、「苦労なくして、真の指導者は育たない」「人間は、鍛えてもらったほうが得で
> ある」とも言われていた。
>  試練の中で鍛えられてこそ、人間としての力も、大いなる福運も、わが生命に備わって
> いく。
>
>  沈黙するな臆病になるな?
>  一、戸田先生は、厳然と言われた。
>  「恩知らずの、傲慢な幹部がいたならば、厳しく、遠慮なく叱りなさい。どんどん、自分の真実の思いを言い切っていきなさい」
>  下から上へ、厳しく叫べ! それが、牧口先生、戸田先生の鉄則である。沈黙してはい
> けない。臆病であってはいけない。
>  ともあれ、幹部は気取りを捨てることだ。
>  格好ではない。リーダーとして大切なのは、「情熱」と「正義感」と「慈愛」である。
>  真剣な実践も、拡大の実績もないのに、幹部として偉そうにするなど、もってのほかだ。
>  役職など関係ない。上も下もない。
>  戸田先生は、師匠のもとで弟子は皆、平等であると強く言われていた。
>  どうか皆さんは、広布のために苦労をいとわず、会員のために誠実に尽くし抜いて、本物のリーダーとして成長していってほしい。
>
>  先生は、さまざまな角度からリーダー論を教えてくださった。
>  「立派な指導者となるためには、しつかりした経済観念がないといけない」とのご指導
> も、紹介しておきたい。
>
>  一、戸田先生は、古今の名著を達して、私たち青年を薫陶してくださった。その中でも、
> 『三国志』は、じつに思い出深い。私も、何度も何度も読んだものだ。
>  東京富士美術館では、この5月、堂々たる「新館」が落成する。「新館」のオープンを記
> 念して、5月3日より、「大三国志展」が盛大に開催される予定である。
>  ある時、先生は、「劉備玄徳は、優柔不断であるから、魏(ぎ)の曹操(そうそう)に敗
> れたのだ」と鋭く指摘された。
>  優柔不断というのは、リーダーにとって大きな欠点となる場命が多い。
>  ずるく、卑怯な人間の優柔不断は、結果として、敗北を招く。
>  つくべき人を誤ってはならない。
>  正義の人、勇気の人、明快なる人についていく。これが大事である。
>  先生は、女子部の人材グループであった「華陽(かよう)会」に出席された折、『三国志』
> を通して、こう指導された。
>  「人物を見る場合、地位とか役職とかによって、こちらで決めてかかってしまう。
>  人を見る前に、この人はこういう人だという一つの映像をつくってはいけない」
>  大変に重要なお言葉である。
>  また諸葛孔明は、「礼に欠ける」のは指導者失格であると戒めていた。
>  傲慢になれば、有能な人材を登用することができないからだ。
>  リーダーの皆さんは、深く心に留めていただきたい。
>
> 若さとは行動!後継の3.16へ
> 師弟勝利の黄金の歴史を!
>
>  恩師の遺命の実現へ奔走
>  一、昭和34年(1959年)9月2日、31歳の私は、日記に次のように綴った。
>
>  「一日ごとに、老若の差が開かれていく──。先輩よ、牧口先生のこと、戸田先生のことを、もう忘れたのか、と激怒したかった。
>
>  自己保身、それよりも、王仏冥合、広宣流布の建設と、恩師の勝利の実証を第一義として、総て考えゆくべきだ」
>
>  戸田先生が亡くなられて、約1年半。年配の幹部の中には、師の指導を早くも忘れ、広宣流布への情熱を失って、慢心に陥る人間もいた。
>  そうした中、私は総務として一人、学会の全責任を担って立ち、恩師の遣命の実現へ奔
> 走していた。
>  戸田先生が逝去されたのは昭和33年4月2日。その直前の3月16日の式典で、先生
> は、私たち青年に広宣流布の一切を託された。
>  本年は、この3・16「広宣流布記念の日」の50周年にあたる。
>  ここで、昭和32年の終わりごろから「3・16」までの師弟の闘争を、私の日記など
> をもとに、振り返っておきたい。
>  かいつまんでの紹介ではあるが、少々長くなるかもしれない。
>  しかし私は、特に青年の皆さんに、本当の師弟の姿を知っておいてもらいたいのだ。
>
>  「必ず成し遂げます!」
>
>  一、昭和32年11月20日──。
>  戸田先生は、予定されていた広島行きを中止された。先生のお体を考え、私がお止めし
> たのである。先生は足に力が入らず、歩行すら困難な状況であった。
>  医師の診断では、肝硬変症とのことであった。
>  過度の疲労が重なり、黄疸と腹水を併発。全身衰弱が著しく、重篤な状況であった。
>  そのため絶対安静とされ、先生は、ご自宅で闘病に専念されることになったのである。
>  11月23日、私の妻が先生のご自宅へお見舞いにうかがった。その二日後、私は先生
> から「留守をしっかり守れ」との連絡をいただいた。
> 鍛えた者が最後に勝つ
> 戸田先生 苦労なくして人は育たない
>  30日、私は品川での本部幹部会の後、先生のご自宅へお見舞いにうかがった。少し元
> 気になられたお姿を拝見し、安心したことを覚えている。
>  12月10日、私は再び先生のご自宅へお見舞いにうかがった。病状が好転されている
> ことを聞き、本当にうれしかった。
>  先生に、一日でも長生きしていただきたい。広宣流布の指揮を執っていただきたい──
> それが弟子としての私の願いであり、祈りであった。
>  16日の午後には、戸田先生から電話でご指導をいただく。
>  あの人間には注意せよ! あの人間には厳重に指導せよ!──先生は、病床にあっても、
> 未来のことを案じて厳しく語っておられた。
>  翌日の朝、私は先生のご自宅を訪れ、1時間にわたって指導を受けた。
>  この時、75万世帯を達成した後の目標についておうかがいした。
>  先生は、命を振り絞るようにして言われた。
>  「大作、あと7年で、200万世帯まで戦いたい。できるか!」
>  私は即座に、お答えした。
>  「やります! 必ず成し遂げます! 勇気百倍、断固、戦います!」
>  2カ月後、先生はさらに「7年で300万世帯」の目標を示してくださった。この大目
> 標も、私は4年後に達成した。
>  師匠が言われたことは絶対に成し遂げる。それが真実の弟子であるからだ。
>  年末の29日にも戸田先生のご自宅へ、あいさつにうかがった。先生は学会の将来につ
> いて、こまごまと注意、指導をしてくださった。
>
>  「10年間、苦難の道を歩みゆけ!」
>
>  一、年が明けて、昭和33年1月。先生は病気を克服しつつあった。
>  しかし、2年間の獄中生活をはじめ、長年にわたって酷使を重ねてきた肉体の衰弱は、
> いかんともしがたいものがあった。
>  先生は、ご自身に残された時間をご存じであったのであろう。
>  「もし私が死ぬようなことがあったら──」と言われ、連日のように、大切な指導をし
> てくださった。
>  17日には、学会本部で先生から、人事などについて注意をいただいた。
>  その翌日、私は3月の総登山の運営に関して、首脳が現実を掌握せず、現場の青年たち
> が苦しんでいることを、先生にご報告した。
>
>  先生は、厳然と言われた。
>  「やりづらくとも、君たちが、学会を支えてゆくのだ」と。
>  ”青年の手で新しい学会をつくれ! 君たちが次の時代を開くのだ!”との深きお心であ
> った。
>
>  2月13日の夜、私は先生のご自宅へうかがった。
>
>  先生より、
> 1.学会青年部の未来性への指示2.学会幹部の指導原理
> 3.仏法と社会へ
> の指向
> 4.学会の究極の使命について、種々、お話をいただく。
>
>  2月19日にも、先生のご自宅へ。私が3月から学会本部の職員となることについて、
>
> 先生は「君の本部入りは天の時だ」と語られた。
>  また、「10年間、苦難の道を歩みゆけ」と厳愛のご指導をいただいた。
>  さらに2月22日、先生は師子吼された。
>
>  「阿諛諂佞(あゆてんねい)の輩(口先巧みにへつらう、邪な心の人間)は全部切る!」
>
>  「組織を乱しゆく者、信心利用の者も、また同じである」と。
>  未来を見すえての、遺言のごとき、烈々たる叫びであった。
>
> 大詩人タゴール
>
>  君の心を束縛するすべての鎖を断ちきって前に向かって突進せよ
>
> 次の50年を託す
>  一、そして3月。
>  私は、20万人総登山の運営の全責任を担った。
>  1日、戸田先生とともに、学会が建立した大講堂の落成の式典に出席。終了後、エレベ
> ーターの中で、先生は私をじっと見つめて言われた。
>  「これで、私の仕事は終わった。私はいつ死んでもいいと思っている。大作、あとはお
> 前だ。頼むぞ!」
>
>  電撃が私の五体を貫いた。
>  5日。大阪事件の裁判で関西に向かうため、私は戸田先生にごあいさつ申し上げた。
>  先生は言われた。
>
>  「君は罪を一身に背負おうとした。本当に人の良い男だな。でも、だからこそ安心だな、
> 学会も」「最後は勝つ!」「真実は、必ず明らかになる。堂々と、堂々と男らしく戦え!」
>
>  先生は、私の苦衷をすべてわかってくださっていた。本当にありがたい師匠であった。
>  どんなことがあっても、必ず裁判に勝利して、先生にご報告をするのだ──私はそう固
> く心に誓った。
>
> 2008年2月2日付 聖教新聞
> 各部合同協議会での名誉会長のスピーチ 下-2
>
>  このころ、戸田先生に対して、ある青年都幹部が「これからの学会は、何を敵として進
> んでいけばよいのでしょうか」と質問をした。
>
>  先生は、厳しく言われた。
>  「敵は内部だよ」
>  この質問をした幹部は、後に名聞名利に信心を食い破られて退転し、学会に反逆した。
>
> 先生は、その本質を鋭く見破っておられたのである。
>  そして3月16日──。
>  広宣流布の模擬試験となる儀式が、晴れやかに行われた。
>  式典には、時の首相が参加する予定であったが、残念ながら出席できなくなった。代理として首相の夫人と娘婿らが参加してくださった。
>
>  式典の司会を務めたのは私であった。
>  戸田先生のお体は、すでにかなり衰弱しておられた。しかし、全生命を振り絞るように
> して、男女青年部を前に話をされた。
>  そして、「創価学会は、宗教界の王者である!」と高らかに宣言されたのである。
>  3・16の儀式については、これまでもさまざまな形で語ってきた。
>  この日、戸田先生は、私を中心とした青年たちに、広宣流布の一切を託してくださった。
>
>  それから50年。今、私は、だれよりも信頼する青年部の諸君に、広宣流布の「炎のバ
> トン」を託したい。
>  若き君たちに、雄々しき師子となって、次の50年の勝利を開いていってもらいたいの
> だ(大拍手)。
>
>  誠実で道を開け
>
>  一、戸田先生は言われていた。
>  「指導者になろうとする者は、何があっても読書を忘れてはならない」
>  先生の厳しい訓練のもと、私は徹して読書に挑戦した。その一つ一つが、すべて私の血肉となっている。
>
>  ここで、世界の先哲の言葉を紹介したい。
>
>  インドの大詩人タゴールは歌った。
>
>  「君の心を束縛するすべての鎖をたち切って/前に向かって突進せよ──/よろこびと
> 悲しみとを超えているものに向かって」(片山敏彦訳「渡り飛ぶ白鳥」、『タゴール著作集第
> 1巻』所収、第三文明社)
>
>  いい言葉だ。
>  我らには妙法がある。御本尊がある。
>  どんな苦難も乗り越えて、さっそうと進むのだ。わが生命の凱歌をあげゆくのだ。
>  近代日本の詩人であり、作家の国木田独歩は綴った。
>  「要は、誠実に働くのみ。其のうちに意味あり、希望あり、幸福あり」(「家庭小話」、『国
> 木田獨歩全菓第1巻』所収、学習研究社。現代表記に改めた)
>  大事なのは誠実だ。誠実が、人の心を動かす。誠実の行動が道を開くのである。
>
>  19世紀フランスの科学者ルイ・パスツール。
>  彼は、恩師であるジャン=バチスト・デュマヘの感謝を、こう語っている。
>
>  「先生の講義の後で、何時も私はソルポンヌから恍惚として、時としては涙ぐむ程感激をして出て来たものであります。
>
>  この時以来、先生の教授としての才能、先生の不朽の業績、先生の高貴なる性格は私の心に崇拝の念を起させ、それは私が齢を重ねるに伴って、強まるばかりでありました」
> (ヴァレリー・ラド著・桶谷繁雄訳『ルイ・パストゥール』冨山房、現代表記に改めた)
>
>  パスツールは、偉大な師であるデュマを「心の灯」と呼んだ。
>  輝かしい業績を残した晩年においても、”私は、師匠デュマに激励された弟子である”と幾度も語ったという。
>
>  師弟に生き抜く人生は美しい。
>  師弟に生き抜けば、無限の力を発揮していくことができるのである。
>
>  真剣に訓練を
>  一、必勝の条件とは、何か。その一つとして、中国の古典『管子(かんし)』は、こう説いている。
>
>  「たゆまぬ訓練を行なうこと。たゆまぬ訓練は無敵である」(松本一男訳『中国の思想8
> 管子』徳間書店)
>  広布の戦にあっても同じだ。
>  戸田先生は、一面、本当に口やかましかった。そうやって、青年を育ててくださった。
>
>  今は口やかましい人が少なくなった。”我関せず”と、悟り澄ました格好をする。それでは、人が育つわけがない。真剣に訓練していかなければいけない。
>
>  『管子』も、戸田先生のもとで、暗記するくらい懸命に学んだことが懐かしい。先生の訓練はすべて、学会の将来を見すえたものであった。
>  「中央アジア・ウズベキスタンの大詩人ナワイーは、高らかに歌った。
>
>  「疲労やわびしさ、悲哀など吹き飛ばすのだ。迫害の嵐にさらされる運命にあっても、
> 心軽やかに乗り越えていこう。
>  どんなに大きな困難があっても、心軽やかに立ち向かう人が勝利者となるのだ」
>  この言葉を、自分に言い聞かせながら、あらゆる苦難をバーツと吹き飛ばして、心軽や
> かに前進したい。
>
>  一騎当千たれ!
>  「きょうは大事な協議会である。そして、学会が一段と発展していけるかどうかの分か
> れ目が「今」である。
>  この時に、心に隙があれば、大きく崩れてしまう。今いる皆さんで、未来は決まる。ゆえに、断じて手を抜くことはできない。
>  未来のために、もう少々、語っておきたい。
>
>  学会は、大きく発展した。これだけの世界的な学会になった。盤石な土台ができ上がった。
>
>  その上に見事な大建築をつくり、広げていくのは、若き君たちである。
>  すべては「人」で決まる。これからの「人材」で決まる。
>  一人一人が一騎当千の将となって、世界一の大人材城を築いていただきたい(大拍手)。
>
>  「慈悲」を世界へ
>  一、私が現在、月刊誌「潮」で語らいを連載している、中国の国学大師の饒宗頤(じょ
> うそうい)博士は、次のように述べておられた。
>  「私は池田先生と出会って、今、『創』という言葉を、人生のテーマとしようと決意して
> います。『創価学会』の『創』、牧口常三郎初代会長の言われた『価値創造』の『創』です。
> 池田先生は常に、尽きることなき創造力をもって、多くの人々を鼓舞してこられました」
>  「池田先生が法華経の本義に則り、慈悲の精神を宣揚し、これを世界に広め、人材を育てていらっしゃること──そこから学ぶ者は『火宅も清涼となる』の感を抱き、『暗闇も暁となる』という目覚めの讃歎を叫ばざるを得ないのです」
>  すべて創価の平和・文化。教育運動への評価である。世界の知性の声を、ありのままに紹介させていただきたい(大拍手)。
>
>  〈饒博士は、こうも述べている。
>  「(日本や世界の青年に知ってもらいたい文学・芸術作品は何か、という質問に)もとも
> と読書が好きな人に対しては、私が紹介するまでもないかもしれません。しかし、今日、平和な世界を築くという意味において、池田先生の思想と境涯を、皆が深く学ぶべきだと思います」
>
>  さらに「池田先生が強固な信念のもと、中国のみならず、世界の各世代、各分野のリーダー、そして民衆と友情を結んでこられたことは、誠に偉大です。これほど広範かつ長きにわたって交友を温めてこられた方は、極めて稀ではないでしょうか」と語っている〉
>
>  若々しい声で
>
>  一、リーダーは、声一つ、言葉一つで、皆に勇気と希望を与えていくのだ。
>  覇気のない、枯れ果てたような声では、だれも感動しない。
>  「春が来た!」「いいな!」と感じさせるような、生き生きとした声で、同志を鼓舞していっていただきたい。
>  妙法を持つ我々は、年齢には縛られない。年を重ねても、若々しく、福徳を増しゆく不可思議の法であるからだ。
>
> 大科学者パスツール 師匠は私の「心の灯」
> 全員が責任者!
>  「リーダーは、「全員が会長」「全員が広布の最高責任者」との深き自覚に立っていただきたい。
>
>  これまでも、どんな嵐にも揺るがず、わが地域の同志を守り抜き、道なき道を切り開いた庶民の王者がたくさんおられた。その方々のおかげで、学会は、もっているのだ。
>
>  今や、世界190カ国・地域に広がる創価の大連帯である。
>  中核となる人材を、100人、1000人と、今、つくっておかなければ、大変なことになる。
>
>  中国の古典『書経』に、「指導者の心得」が記されていた。
>  「不測の事態に対する備えを怠らない」
>  「安逸に流されない」
>  「すぐれた人材を登用し、信頼して仕事をまかせる」
>  「悪に気づいたら断固取り除く」
>  〈守屋洋・守屋淳著『中国古典の名言録』東洋経済新報社)
>  すべてのリーダーが心に刻み、実行していっていただきたい。
>
>  「師を求めれば王者となる」
>  一、キューバ独立の父ホセ・マルティは綴った。
>  「行動力は若さの象徴である」(柳沼孝一郎・青木康征訳『ホセ・マルティ選集第2巻』
> 日本経済評論社)
>  行動しなければ、人も、団体も、伸びない。学会は、行動し抜いてきたからこそ、すべてに晴れ晴れと勝ってきたのだ。
>  中国の『書経』には、「能く自ら師を得る者は王たり」──「自分から師とすべき人を求めえたものは天下の王者」となれるともあった(小野沢精一著『新釈漢文大系26 書経(下)』明治書院)。
>
>  反対に、師を求めようとしない人間には、成長も、進歩もないであろう。
>  戸田先生は私に、「お前は、本当に師匠を大事にした。王者だよ」と語ってくださった。
> これこそ、わが青春の誉れである。
>  戸田先生との思い出は尽きない。
>  戦後間もないころ、学会はまだ小さかった。一番大変だったその中で、私は先生に、「将来必ず、学会を世界的に大きくします!」と申し上げた。
>  弟子の誓いに、先生は涙しておられた。
> 肺病の私を心配され、「俺の命をあげたい」とまで言ってくださった先生である。
>  この先生の心があったから、私は戦えた。
>  師弟があったから、学会は勝ったのである(大拍手)。
>
>  次は、君たち青年の番だ。青年部に、一切を託したい。
>
>  役職が上だから偉いのではない。信心で決まる。行動で決まる。青年が、下から上を動かしていくのだ。
>  そのためにも、若き諸君が、学会精神を忘れることなく、しつかりと戦い抜くことである。こんなに素晴らしい団体はないのだから。
>  未来は、すべて若き皆さんにかかっている。よろしく頼むよ!〈会場から「ハイ!」と
> 力強い返事が〉
>  きょうは長時間、本当にありがとう!(大拍手)
>  (2008・1・29)
> 各部合同協議会での名誉会長のスピーチ 下〔完〕
>