2019年1月4日 投稿者:ジョーカー 投稿日:2019年 1月 4日(金)09時35分47秒 通報 編集済 池田大作全集73巻 P71より 「状況が変化すると、それとともに心が揺れる。心が転ずる。それが不安定な『漫』の生命である。いつも、どちらにつこうか、どう動いたほうが得か、そんなことばかり考えている。要するに『保身』の一念である。 自分を大事にし、よくしてくれるから、こっちについておこう。形勢が変わったから、今度はあっちへ行こう。そのように、落ち着きなく、つねに自分の利害を中心に“機”をうかがっている。『法』が根本ではなく、自分の『エゴ』が根本である。ここに慢心の本質がある。」 :::::::: 組織の方針(多数派)を自分の方針とし、合わせていくことは楽である。波風が立つこともなければ、幹部に疎まれることもない。だが、それによって、会員が苦しみ、犠牲になってしまえば、元も子もない。自分を偽り続けると、おかしいことがおかしいと思えなくなる。それは、人間としての破たんに通じてしまう。 子路様 不二の誓願(誓い)とは、地涌の菩薩の原点です。地涌の菩薩の原点とは、「折伏するために生まれてきた」という一念です。不二の誓願を思い出せないのが凡夫です。しかし、題目を唱えられること自体が、生命で感得している証拠です。 折伏には、自分を折伏・内部を折伏・外部を折伏の三つの観点があります。まずは自分を折伏するために題目を唱えます。御本尊不信の自分、何のために生まれてきたか迷う自分、勇気を出さない自分、惰性に陥っている自分等を折伏します。内部の折伏は、発心していないメンバーを発心させること、悩んでいるメンバーを激励し、御本尊へと向かわせること。活動家に対しては、組織主義に陥っていることに気付かせること等です。そして、外部の折伏は、友人に信心を教えること、社会で実証を示すこと等です。 折伏するために生まれてきたと決めれば、仏と不二の誓願となり、自身の一挙手一投足が折伏に通じていきます。それが無上道であり、歓喜溢れる勝利の人生です。逆にここがズレると、人生がズレていき、不満足な結果となる。不二の誓願に立ち返るとは、折伏するために生まれてきたと決めること。ここからすべてが始まります。 Tweet