投稿者:ジョーカー 投稿日:2018年12月16日(日)10時14分2秒   通報
池田大作全集71巻 P476より

「だれでも、“絶頂”の時がもっとも危ない。登りきれば、あとは下るしかないからだ。“登りきった時”とは、いかなる時か。それは決して立場や周囲が決めるものではない。自分が決めることである。すなわち『慢心』が絶頂の時こそ、危険の“絶頂”にある時であり、それは『心』の問題なのである。」

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人は苦しみや苦労がなくなった時に、漫の心が出てくる。順風の時ほど恐ろしいものはない。組織においても、権力の迫害のない今の創価学会こそ、絶頂であり、極めて危険な状態と見なければ、それ自体、慢心に陥っているといえます。傲り高ぶれば衰亡する。それは創価学会も例外ではない。

アップル様
娑婆世界は、誤解曲解あめあられです。レッテルを張り、レッテルを張られの応酬が現実です。レッテルを張られて気づくこと、それは、自分自身も誰かに対して、レッテルを張っているかもしれないということです。その時に、人は勝手な生き物であり、自分の尺度(境涯)でしか量ることができない愚かな側面があることがわかります。

日蓮大聖人は、日本国の一切衆生から憎まれました。善は悪に憎まれ、妬まれる。誤解曲解を解消する暇もなくレッテルを張られ続ける。それでも自分の主張が正しいと思うならば、何を思われようと、ゲラゲラ笑って酒でも飲んでいればいい。自分自身に生きるとはそういうことです。

何があろうとなかろうと、自分自身に生きられるか否か。その人生からの問いに対し、どのように答えるか。人は耐えられない苦しみがあってこそ、正しく生きられるのです。