投稿者:ジョーカー 投稿日:2018年11月 7日(水)23時04分34秒   通報
池田大作全集68巻 P16より

「ナポレオンにも致命的な失敗があった。それは、相手国に対し『征服者』として、すなわち敵として向かっていったことである。それでは、どんなに進歩的な理想を掲げ、立派な大義名分があっても、人々に共感をもたらすことは絶対にできない。そこには、人間の傲慢さがひそんでいたからである。
人々に、心から納得と共感を与えていく道は、『真心』である。それに対し、傲慢、驕慢、増上慢が心にひそみ、相手を見下げていくときに、必ず人々の心は離れていってしまうものである。」

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広宣流布の戦いは、どこまでいっても「納得」と「共感」がベースになる。それとは反対に、相手を敵と定め、やっつけようとするならば、そこには、「不信」と「反感」が生じる。創価学会も、幹部が増長し、征服者の一念となった時に、崩壊が始まる。

改革に挑む側も、征服者として戦いを起こせば、最後は必ず失敗する。戦いとはまさに、納得と共感を生めるかどうかが焦点であり、相手を倒すことではない。ここをはき違えると、ミイラ取りがミイラとなるので要注意である。

納得と共感を生むために、一念に億劫の辛労を尽す。これ、仏の振る舞いである。一方、権力を行使し、パワープレイに走り、不信と反感を生むのは、第六天の魔王の振る舞いである。妙法の世界において、「排除」することは、最低最悪の悪手であることは言うまでもない。