投稿者:おはようメール 投稿日:2018年 5月28日(月)21時54分17秒   通報 編集済
あとがき:

以上、私の除名処分の経緯と、SGI-USA組織の現況の幾つかを、記録として、ありのままに書きました。長文をお読みいただき、ありがとうございます。

これからも、いや増して「おかしいものはおかしい、正しいことはあくまで正しい」と、声をあげ続けるつもりです。 弟子を名乗り、裏で師匠を裏切る内の敵、極悪とは、徹底して戦います。

ここで、SGI-USA組織は、私を除名処分としましたが、私は、SGI-USAに対して瞋恚の心はありません。不軽菩薩の修行の意味が少しはわかるような気がします。虹と創価家族様が、「(声を上げる)最終的な目的は、会員の幸福のため、目前の一人を救うため。」と、おっしゃている通りです。
そこで、私のこれからの人生の指標は、「師と同じ心」もつことです:

即ち、「頼らない。自分が立ち上がる。同情もいらない。感傷もいらない。だれが励ましてくれなくてもいい。自分が決然と、そして朗らかに立ち上がって、自分を変え、周囲を変え、社会を変え、国土まで変えていく」のです。(「大白蓮華」2012年5月号、p.49:mission様、文献ご教示、ありがとうございます。)
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ところで、私は、最近、SGI-USAの友と話す機会がある時、必ず、一つ質問することにしています。
(私)「SGIに二つあるのを知っていますか。」(友)「えっ?」

(私)「と云っても、SGIが二つに分裂したと云うわけではないですよ。今、SGIと云えば、ただ一つ、昨年施行された最高規範「創価学会会憲」に規定されるSGIです。そこでは、SGI会長は、創価学会会長の下に位置します。」

(友)「えっ?「会憲」も何も、知らなかった。そりゃ、ひどいじゃないですか。」

(私)「組織の秩序を保つことが第一目的の、いわば「組織主義のSGI」なんです。」

(友)「そうなんですか。」
(私)「ですから、私は、朝晩の勤行の際の御観念文で「広宣流布大願成就と、SGI万代の興隆を御祈念申し上げます。」とあるくだりで、必ず、「池田先生が命を懸けて築かれた「人間主義のSGI」の万代の興隆」と断って、ご祈念します。
1975年、グアムでの「第一回世界平和会議」で、参加各国代表全員の賛同で結成され、そして、池田先生を会長に推挙した、あのSGI。そして、先生が命を削り、一人一人を激励し抜いて築かれてきたSGIです。間違っても、「組織主義のSGI」の万代の興隆を、祈ったりはしません。」

(友)「わかりました。私の心にあるSGIも、その「人間主義のSGI」ですよ。私も、今日から、そう云うふうに、祈ります。」

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最後に、SGI-USAの蘇生への祈りをこめて、先生の北米・指導集「親愛なるアメリカの友へ」(p. 198) から一つ指導を共有したいと思います。この指導集には、1990年代始め、創価学会・SGIの大転換期に、「世界広布のモデルに」との、先生のアメリカSGIへの熱い期待が込められた数多くの指導が収められています。
ラフカデイオ・ハーン(小泉八雲)が書きとめた日本の民話「常識」という、物怪にだまされていた僧を、庶民の「常識」が救う物語についてです。この物語を紹介されたあと:
「どんなに「知識」があっても、健康な「常識」(コモン・センス)がなければ、生かすことはできない。 建国の時、独立の時、アメリカを大きく支えたのも「コモン・センス」であった。「常識」がなければ、宗教は時に、「盲信」となり「狂信」となる。「盲信」「狂信」は、仏法ではない。

「仏法と申すは道理なり道理と申すは主に勝つ物なり」(GZ 1169)—- 仏法というのは道理である。道理というのは主人(権力者)に勝つものである —– と、大聖人は仰せである。
また「真理は単純である」という言葉もある。反対に、「うそ」をとおそうとする人間ほど、わざと話をややこしくさせるような“へ理屈”を言うものである。————–
「正義は、現実に広宣流布を進めている人のもとにある」「人格のおかしい人は信心もおかしい」「くるくる言うことが変わるのは、ウソをついている証拠である」「話し合いに応じられず、威圧的なのは、何かごまかしているからであろう」
こう見ていくと、当たり前の「道理」と「常識」さえあれば、こと足りるのである。民衆の常識で判断して、おかしいものはおかしいのである。

いわんや、私どもには大聖人の御書という「明鏡」がある。その鏡に照らして、おかしいものには、絶対に従ってはならない。」
(「カナダ・アメリカ最高代表者会議」9/30/1991、ロスアンゼルス近郊)