投稿者:まなこ 投稿日:2017年 9月 3日(日)08時27分7秒   通報
【トインビー】 人間はこれまで、技術面にかけては驚くほど豊かな才能を示し、創意も発揮してきましたが、こと政治にかけては逆に、驚くほど能力も創意も示していません。これまでに見いだされた政治体制も、その選択肢となると数は少なく、しかもいざ実施されてみると、すでに実験的段階で、ほとんどが不十分さを暴露しています。私は、民主主義の場合も、次のように控え目な言い方で述べるのが最も妥当ではないかと考えるのです。すなわち、民主主義とは、人間がこれまでに思いついた政体のなかで最小悪のものである、という言い方です。
ただ、民主主義もいくつかの欠点をもっています。その最もゆゆしい欠点の一つは、議会制民主主義の体制下にあっては、人々が規模や重要性において勝る集団よりも、それらで劣る集団のほうに、主たる忠誠を尽くしやすいということです。すなわち、政党の利益を国家のそれに優先させ、国家の利益を人類全体のそれに優先させてしまうケースが、あまりにも多いのです。
第二のゆゆしい欠点とは、民主主義は偽りをともなうということです。つまり、政治家には、当然のことながら、所属の政党の路線に従うよう、往々にしてかなりの圧力がかかります。彼らは、たとえその路線が自己の良心に逆らうものであっても、それに従わざるをえません。いやそれどころか、野望のためには自己の良心をいつでも捨て去るといった政治家さえ、現われるわけです。さらに広い立場からいえば、自分では正しいと信じないような政策を、政治上の駆け引きのため、支持するふりをするということがよくあります。イギリスのEC加盟にさいしてイギリス労働党がとった態度は、これにあたります。また西ドィツのキリスト教民主同盟が、東方条約――事実上の戦後の国境を承認した対ポーランド、対ソ連条約――の締結にさいしてとった公式態度も、これにあたります。

【池田】 やはり、現代民主主義の決定的な欠陥は、それを支える側の大衆が道義感を確立することのむずかしさから生じたものが、大半を占めているのでしょうね。古代アテネの民主政治が、その繁栄の絶頂期において、すでに内部から腐敗し、衆愚政治に陥ってしまったのも、ここに原因があったのでしょう。今日、アメリカも西欧諸国も、同様の危機を内にはらんでいることが指摘されています。

【トインビー】 アテネ民主制の黄金時代といえば、開幕後の一世紀間のことでした。この時代、権力はすでにアテネ憲法に基づき、民衆の手にありましたが、しかし彼らは、実際にはまだ貴族階級による指導を、廿んじて受けていました。これはちょうど、アメリカ合衆国史の初期、アメリカ国民が貴族的な“建国の父”たちの指導に身を委ねていたのと同じことです。
ところが、このアテネ民主制の初期黄金時代においてすら、民衆はすでに二つの誘惑に負けていました。彼らは形勢の逆転を図るべく、まず自国内の富裕少数者に圧倒的な重税を課し、また自主参加とは名ばかりの社会奉仕を、彼らに強要しました。次に、民衆はアテネの海軍力を乱用しました。当時、アテネ海軍は軍艦の漕ぎ手を民衆に依存していましたが、民衆は、この依存関係から生じた権力を握るや、ただちに海軍力を利用して、その頃アテネと公式の同盟関係にあった他のギリシア諸国を、属国の立場にまで落としてしまったのです。アテネ市民は、その後、その優勢な武力にものをいわせて、これら諸国に圧力をかけ、脅迫したり掠奪をはたらいたりしたのでした。
アテネの民主政治は、当時のアテネ知識層、たとえば歴史家ツキジデスや哲学者プラトンなどから、政治体制の悪例として非難されています。ただし、彼らの批判も、掛け値なしに聞くわけにはいきません。彼らは富裕少数者に属していましたから、そこに偏見がなかったとは必ずしもいえないのです。とはいっても、彼らが民主制アテネの国内・国外政策に何けた酷評は、いずれも直接の体験に基づくもので、ほとんどがまぎれもない史実に支えられています。
しかも注目すべきことは、アテネでは民主制が短命に終わっていることです。すなわち、民主政治は二世紀足らずしか続かず、ついで穏健な寡頭政治がこれに代わったのですが、このほうは三倍も長く存続し、事実、アテネの都市国家そのものが滅びるまで続いたのでした。そのうえ、この体制は、アテネがローマの宗主権下におかれた後も、少なくとも西暦三世紀まで存続しています。
この寡頭政体は、それ以前の民主政体が過激だったのに比べて穏健なものでしたが、しかし、これとても社会的不公正さは免れませんでした。この政体のもとで、アテネ市民は少数の不労所得者による、彼ら少数者の利益のための統治を受けました。この少数者とは、農耕者たちから取り立てる小作料に、寄生虫のようにたかって生活していた農村地主たちのことです。かつて帝政中国を二千年以上にわたって支配してきた士大夫(したいふ)階級は、このアテネの、民主政治以後の支配階級に相当するものです。

【池田】 そうした事実のうえから、一部には民主主義は過渡的な政体であって、結局は、道義的にも優れた知的エリートの少数支配体制によらなければならないと主張する人々もおります。これに対しては、博士はどうお考えでしょうか。

【トインビー】 私の考えでは、利己的少数者も利己的多数者も、いずれもよい政治を実現しそうにありません。政治コントロールの消極的な権限というものが、できるだけ大多数の人々に与えられているような政体がよいのではないでしょうか。すなわち、大多数の人々には、政治運営の積極的権限を与えず、彼らの決定的利害にかかわる問題についてだけ拒否権を行使することによって政治をコントロールするような、消極的権限というものをもたせるのです。
私は、最もよい行政体はメリットクラシー(能力主義体制)であろうと考えますが、しかし、最も公正にかつ効果的に厳選された人々からなるメリットクラシーも、なお一般大衆からのコントロールを免れるべきでないと思います。なぜなら、いかに有能でいかに公共精神に満ちた人物にも、やはり人間としての弱点があるものですし、しかも権力とはそれ自体、常に腐敗するものだからです。
私が考え描く、この行政的メリットクラシーは、その人選を一般大衆の選挙に任せるべきものではありません。民主主義体制のもつ最も悪い一面は、直接制民主主義にせよ代表制民主主義にせよ、政治家が自ら真の公益と信ずることよりも、むしろ自分自身の当選や再選を第一義として、そちらに気をとられて行動しがちなことです。民主主義がもつこの弱点は、ジャクソン時代以後のアメリカ大統領制の歴史や、ペリクレス死後のアテネ民主制における司令官制(ストラテゴイ)の歴史が、如実に物語っています。
一般大衆のコントロールを受ける政治機関の人選方法としては、選挙による代表制民主主義のやり方を維持したほうがよいでしょう。しかし、行政体としてのメリットクラシーの人選方法としては、私は、選挙を除外して考えたいのです。この行政体にあっては、一部は互選により、また一部は指名によって人選されることが望ましく、しかもその被指名者たちは、いずれも社会的・文化的には重要でありながら、政治的・経済的には無色であるような団体から、指名された人人であるべきです。