2017年7月11日 投稿者:まなこ 投稿日:2017年 7月11日(火)09時18分34秒 通報 【池田】 そうした矛盾した刑罰のあり方も、すべて国家機密というものが存在するところから生じているわけで、責められるべきは、むしろ国家の秘密性そのものでしょう。 次に、第三の、個人の人格の尊厳を侵すような場合ですが、私は、出版の自由がただちに規制されなければならないのは、こうした場合であると考えます。日本には「人の口に戸はたてられない」という諺がありますが、たしかに、人々があれこれと噂ばなしをするのを規制することはできません。しかし、それを活字にして大量にばらまくことに対しては、法的に抗議し、停止させる権利があってしかるべきだと思います。 【トインビー】 ええ、個人的生活こそ、不当に公開されることのないよう、保護されなければなりません。 一九三九年に、私の長男が自殺をしました。このニュースが知れわたるや、記者たちが私たち夫婦につきまとい、間断なく私たちを悩ませたのです。私たちは、どうか退去してほしいと懇願しましたが、彼らは、記事にできないと解雇されるといって聞きません。私たちはついに話して聞かせることにしました。しかし、その結果、彼らは気まずい思いをし、私たちもみじめな気持ちにさせられてしまったのです。これは、センセーショナルなニュースを冷酷に追うことから生じた悪影響の一つです。 これはさほど古い話ではありませんが、オナシス夫人と、明らかに彼女につきまとっていた写真家との間に、かなりの論戦が繰り広げられたことがありました。この写真家の言い分は、自分には生計を立てる権利があり、そのためにはオナシス夫人や子供たちを追いかけて写真をとり、たとえ悩ませることになってもしかたがないというのでした。オナシス夫人のほうは、自分の私生活はあくまで自分のものであるという、きわめて妥当な主張をしました。 この場合、私はオナシス夫人の主張のほうが正しく、彼女は保護されるべきだと思いました。いかなる写真家も、自分の稼ぎのために他人を苦しめる権利などあろうはずがありません。このようなケースでは、出版の自由にも規制が加えられなければなりません。 Tweet