2017年7月3日 投稿者:まなこ 投稿日:2017年 7月 3日(月)07時57分32秒 通報 【トインビー】 体制自体内の若者による現代の反逆には、いくつかの原因があげられます。 その第一は、明らかに、いま権力を握っている中年の世代が、世の諸問題を満足に処理できずにいるところにあります。第二に、技術の加速度的な進歩のゆえに、事物の変化があまりにも急激であり、しかも、それがあまりにも険悪な方向をたどっていることです。そのため、若い世代は、世代交代によって自分たちの時代がくる以前に、現在の中年層がたぶん取り返しのつかない破局を招いて、人類を打ちひしがせてしまうのではないかと懸念しているのです。 第三には、若者たちが年長者に対して疎外感を抱いていることです。それというのも、いわゆる先進諸国にあっては、すでに体制者の活動なり生き方というものが魅力を欠き、威信を失ってしまったからです。かつて、インドのバラモン階級、日本の武士、明治時代の元老政治家、ローマの元老院議員、ウォール街の大立者といった人々の生き方には、ある種の魅力があったものです。しかし、今日の企業者、公務員、労働組合役員などの生活には、魅力らしいものはまったくありません。現代の体制者の変哲のなさと無力さが、若者たちを反逆に走らせているのです。 この体制内の世代間戦争は、すでに、ただでさえ恐ろしいほど危険な現代の状況に、さらに輪をかけてその危険度を増す作用をしています。この点から、さきほど御指摘の通り、私も、この現況の収拾に努めるとともに、それが引き起こしている世代間の戦争を終わらせる努力がどうしても必要だと考えます。 【池田】 そのような二重の危機を解決するためには、まず、断絶した両世代が互いに歩み寄れる、一つの共通の場を見つけだす必要があると思います。われわれは、努力の第一歩をそこに踏み出さなければならないでしょう。 【トインビー】 もし若者たちに次のことをわからせることができれば、世代間の緊張もあるいは和らぐかもしれません。すなわち、どんな世代も、かつて意のままに自由であったことはなく、それは現在も変わらないということ、そして、どの世代も自分たちが権力を握る番になると、行動の自由がカルマ(宿業)に縛られているのを思い知るということです。 新しい世代が古い世代を軽蔑し、嫌悪するのは、大人たちが無力で魅力に欠けることにもよりますが、むしろより深い理由としては、彼らが一見して不誠実で偽善者のように見えるためなのです。もちろん、現体制の中年層がある程度不誠実で、偽善的なのは疑うべくもありません。しかし、内実は見かけほどひどくないことも確かなのです。古い世代も、若者たちが要求しているような、根本的な改革を実行したいと真剣に願っているかもしれないのです。しかし、彼らは同時に――その事情をはっきりと説明できずに――カルマが縛りつける運命によるハンディキャップを負っていることに、気づいているのではないでしょうか。そして、彼らが誠意をもって変革を願い、その努力を払っているにもかかわらず、自力だけでは、世の中の状態を改革するに至るだけの宿命の転換をなしえないことにも、気づいているかもしれないのです。 【池田】 宿命、業(カルマ)というものに直面したときの人間的な弱さ、脆さということに、反体制の若い世代も深く思いをこらすべきですね。なんでも自分の理性で決定し、支配できるといった自信は、青年の理想主義的な美点でもあるわけですが、実際に自分が権力と責任を担ったときに、このどうにもならない人間的な業という問題があらわれてきます。 どんなに崇高な理想に燃えた青年であっても、現実の世界は理想だけでは対処できません。自己の生命の内部にも醜い宿業、欲望があるわけですし、この現実社会を形成しているすべての人間に、それぞれ底知れない業があります。それらが複雑に絡み合い、相乗して、現実を形づくっているのが世の中です。この泥沼のような現実に足を踏み入れたとき、なおかつ理想を見失わずにいけるということは、至難のわざといってもよいでしょう。結局は、いかなる人に対しても人間としての思いやりをもち、互いに深く理解し合っていくという態度が、大事な前提になると思うのです。 Tweet