投稿者:まなこ 投稿日:2017年 6月 1日(木)07時53分0秒   通報
【池田】 しかし、この中庸の道は、実践するとなると、まことに微妙で困難なこともまた事実です。歴史を振り返ってみても、知識人や芸術家が権力の下僕となってしまって、文学や芸術の自由な芽を摘みとってしまった事例は、枚挙にいとまがありません。いわゆる政治と権力悪の関係が間題にされるようになったのも、そのような悪例によるわけです。

【トインビー】 フランスの格言に「高い身分には(道義上の)義務がともなう」というのがありますが、この“高い身分”を“貴族出身者”という意味にとらずに“人間”と解釈してみるなら、この格言は、知識人や芸術家の行動規範としても有効になるのではないかと思われます。人間には生まれながらにして道義上の義務がある、という意味になるからです。
ソクラテスは平民でしたが、彼は貴族出身の弟子プラトンの場合と同じく、主として普遍的、恒久的な問題に関心を寄せていました。しかし、彼がプラトンと違うところは、故郷の都市国家アテネの政治にも関与したということです。
ソクラテスは、ふだん、論争の絶えない政治にわざわざ介入するようなことはありませんでした。しかし、ひとたびある政治手段をとることが――たとえそれが一般には不人気なことであっても――必要であると判断した場合、彼は、そうすることが市民としての義務の一部であると考え、ためらうことなく実行しています。彼は、少なくとも一度、道義上きわめて悪法でありながら一般市民の間では非常に人気の高かった発議に対して、アテネ議会において公然と反対投票をしました。その結果、ソクラテスは、自己の所信に反し真理に背いてまで、自説が道義上退廃的であると言明させられるくらいならむしろ死を選ぶとして、甘んじて死刑の宣告を受けることにしたわけです。宣告後も、国外逃亡の機会はあったのですが、彼はそれをも拒んでいます。
政治への関与を求めもせず、避けもしなかったこのソクラテスの実践は、私には、知識人や芸術家のとるべき正しい態度を示すものであると思われます。

【池田】 政治への関与を求めもせず、避けもしなかったソクラテスの実践は、たしかに立派なものであったと思います。そこで、これと対比して考えてみたいのは、インドのゴータマ・ブッダの生き方です。
ブッダの場合、彼は政治上の権力者としての王家に生まれました。彼は非常に感受性の強い青年でしたから、出家をしないで王宮にとどまっていたなら、あるいは慈しみ深い善政を施いたかもしれません。しかし、彼は、政治や経済だけでは真に人間の苦悩を救えるものではないと悟って、修行の道に入りました。
むろん彼とても、政治に無関心であったのではありません。悟りを開いた後も、自分の親族はもちろん、多くのインド古代都市国家の支配者や長者、またそれに連なる人々を教化し、政治の根底に仏教の理念を反映させようとしています。つまり、ブッダの理想は、政治の次元を越えた分野を基盤としながらも、この現実世界に、真に人間を幸福にしうる道を確立することにあったわけです。
ところで、ブッダの時代にも、またその後の仏教の歴史においても、しばしば政治的弾圧が加えられました。しかし、仏教者は、そうした政治上の権力と同一次元で対決するのではなく、もっと精神的に高い次元から対処しようとするところに特徴があるようです。したがって、仏教者においては、政治上の信念に殉教するということはあまり歓迎されません。ブッダの涅槃も、安心立命のものでありました。
ところが、ソクラテスの場合、自己の信念を守るために、都市国家の政治権力と正面から対決して、自ら毒杯をあおいでいます。たしかに、彼の後世に対する影響力は、その死によって、大きく、強いものがあるようです。しかし、影響力のうえからいえば、ブッダは悲劇的な死を選びませんでしたが、ソクラテスやイエスと並ぶものをもっています。悲劇的な死は、政治や人間に対して憎悪を植えつける作用があり、私には感心できません。

【トインビー】 御指摘の点、よくわかりますし、お気持ちもわかります。しかしながら、私は、やはりどうしても中庸の道をとらざるをえない場合がままあることを感じていますので、今度は私の個人的な体験を一、二あげて、これについての私の見解を補ってみたいと思います。それは、少なくとも実際に証明できるということがとりえです。
かつて私は、学間の自由という倫理上の原則を守るため、大学での地位を辞さざるをえなくなったことがあります。第一次大戦後、私はビザンチン研究と近代ギリシア研究で教授の地位にありましたが、現代ギリシア人の生活を研究するために、一九一九年から一九二二年にかけてのギリシア・トルコ戦争を視察に行きました。ところが直接に観察した結果、私は、この戦争はギリシア側が間違っており、トルコ側が正しいという結論に達したのです。戦争では、ことの真偽のほかに、正邪ということが問題になります。私はそのとき現に教授職にあり、実情をこの眼で確かめてきた以上、ありのままに事実を発表することはもとより、この問題の正邪についての私見を表明する道義上の義務があると感じました。その結果、私は教授職を辞さざるをえなくなったのです。

【池田】 その勇気、その正義感には、私は心から敬服します。