投稿者:まなこ 投稿日:2017年 5月28日(日)07時53分27秒   通報 編集済
◆ 3 知識人と大衆

【池田】 一般によくいわれることですが、大衆とか知識人とかいう立て分け方があります。しかし、私は、人間を知識人と大衆に分けるこの発想法には誤りがあると考えています。もちろん、今日に至るまで、あらゆる文明社会は、そのなかに知識人と大衆という区分を維持してきたことは否定しません。しかし、現代文明においてその伝統を踏襲することは、もはや正しくないのではないかと私は考えるのです。
すなわち、人間は、知識人や大衆である前に、同じ人間であるということをまず大前提におかねばならないと考えるわけです。少なくともこの立場においては、知識人と大衆の境界線などというものはありません。どんなに優れた知識人も、現実の生活においては大衆の一人であって、何ら他の人とは異なるものではありません。普通一般に大衆と呼ばれる人々も、それなりに豊富な知識を身につけた“知識人”なのです。
たとえば、非常に優れた物理学者であっても、家庭経済の問題については、一介の主婦の英知にははるかに及ばないものです。にもかかわらず、物理学者のほうが平凡な主婦よりも社会的に重んじられる理由は、稀少価値ということ以外にないように思われます。

【トインビー】 人間がもつ最も重要な側面は、ともに同じ人間であるということです。人間は、特定の種類の人である前に――つまり、黒人であるとか白人であるとか、仏教徒であるとか儒教者であるとか、ユダヤ人であるとか異邦人であるとか、知識人であるとか無教養な人であるとかの前に――まず何よりも人間でなければなりません。
人間にとって最も重大な体験とは、常に普遍的なものであり、誰人も避けられないものです。
人間はみな生まれては死んでいきます。意識ある生きた存在であることのむずかしさ、われわれが住むこの大宇宙の神秘性というものは、知識人にとっても知識人以外の人々にとっても同じことです。ともに同じ人間として、生死という冷厳な事実を突きつけられるわけです。
ある社会が知識人と大衆に二分され、そこに互いの疎外感があるとき、それはすでに社会が不健康であることの兆候です。ロシアがこの社会病に冒されたのは、ピョートル大帝による突然で性急な、しかも強制的で表面的な西欧化の後のことでした。ロシア語でいわゆる“インテリゲンツィア”(知識階級)とは、ロシアを西欧社会に仲間入りさせたピョートル大帝の政策から生まれた、新しい階級のことです。このロシアの知識階級は、ロシア人を西欧社会の生活様式に組み入れる役割を担った、西欧化したロシア人によって構成されていました。彼らは、ある意味では不幸な階級でした。というのも、彼らは西欧的生活様式への転向によって、ロシア人仲間からは隔絶され、さりとて西欧社会のなかでは心からの安らぎを得ることができなかったからです。彼らの多くは、十九世紀に、あるいは自主的移住者として、あるいは政治的亡命者として、国籍を離脱し、西欧諸国で生活していました。彼らは、西欧的な教育を受けたために、かつて自分たちを出現させた母体である故国ロシアの専制的政権とは、すでに相容れなくなっていたのです。
十九世紀ロシアの優れた文学作品は、いずれもロシアの文豪たちが、自国の知識階級にとりついた病弊から執筆の動機を得て著わしたものです。トルストイの作品『アンナ・カレーニナ』には、そのことを物語る場面があります。それは西欧リベラリズムに転向した地主のレビンが、土地を分け与えようとして農奴たちを集める場面ですが、農奴たちは当惑して疑い深い態度をとります。彼らは主人の動機がどんなものか理解できず、彼の真剣さを信じることができません。一方、地主のほうも困り果て、ついには怒ってしまい、結局この招集は実を結ばずに終わるのです。
一九一七年のロシア共産革命は、これらの知識階級によって成し遂げられたものです。彼らの多くは、かつて長い年月を西欧諸国での亡命生活に送った人々です。彼らの計画は、ロシアの生活様式をいわゆる先進西欧諸国なみに改革することでした。このため、彼らが政権を掌握したとき、トルストイの小説に描かれたような場面が、現実生活において大規模な形で演じられました。西欧化した革命的知識階級とロシア土着の大衆との間には、当然、誤解が生じました。そこで、革命的知識階級はすでに政権を握っていたため、外来の西欧イデオロギーを力ずくで大衆に押しつけたのです。このやり方は、近代啓蒙主義の使徒としての彼らが打倒した、あのロシア旧来の専制政権のやり方と何ら変わるところがありませんでした。

【池田】 いま博士があげられたロシアの例は、程度の差こそあれ、日本の場合にもそのままあてはまるようです。明治以後の日本は、長い鎖国時代のおくれを取り戻そうとして、欧米諸国から学ぶことに夢中でした。こうした風潮は、今日でも変わっていません。とくに、日本でいわゆる知識人といえば、その人がどれだけ優れた知恵をもっているかではなく、欧米の思想、学説などをどれだけ知っているかで判断される傾向があります。
これは、当然のことながら、知識人と大衆の断絶を深めます。本来、知識人とは民衆の生活の場を舞台にして初めて、その知識なり知性を役立てうるものです。したがって、もし一般民衆を根っこにたとえるならば、知識人はあくまでもそこから咲き出る花でなければなりません。ところが、知識人の悪いクセは、自分を一般大衆とは異なった存在として区別したがるところにあるようです。これは、あるいは知性そのものが、もともと分析や区別といった面でとくに機能するからなのかもしれません。しかし、それは自己の拠って立つ基盤を自分で取り払い、自らの存在を危うくすることにほかならないでしょう。
これに対して、大衆は「知識人に何ができるか」といいます。口先ばかりで行動のともなわない知識人には、少しも歴史を動かす力はないというわけです。こうした知識人と大衆の隔絶、反目をみるとき、私は、これは人間社会にとってまことに不幸なことであり、なんとしてもこのギャップを埋める努力がなされなければならないと思うのです。

【トインビー】 一般的にいって、知識人と大衆の隔絶が生じるとき、知識人としては、人生の普遍的な現実問題との接触を失いやすいものです。一方、大衆のほうは、すべての人が能力に応じて最大限に享受すべき知的教養というものを、そうしたさいに失うことが多いものです。
今日の西欧社会には、知識人が職業的スペシャリストだけの閉鎖的なサークルを形成して、そのなかで他から超絶して生活し、仲間たちだけのために仕事をするという、不健全な風潮があります。彼ら知識人は、大衆が専門的でなく無知であるとして軽蔑しています。一方、一般大衆のほうも知識人を無視しています。知識人の話はわかりにくく現実的でないというのです。こうした相互の疎外関係は、双方にとって好ましくなく、社会にとっても良くないことです。