投稿者:赤胴鈴之助 投稿日:2017年 8月23日(水)02時24分23秒   通報
21世紀への選択 現実世界と対話しつつ民衆のなかで法を具現化 P98

池田
話は戻りますが、「警世の人」が権力の座にいる人々に受け入れられるはずはあり

ません。

日蓮は、二回の流罪を含む国家権力からの弾圧に、耐え続けねばならなかったのです。

しかし弾圧は、日蓮が「法華経の行者」であることの証でもありました。

日蓮は極寒の流刑地・佐渡で、『開目抄』と名づけられた一書を認めます。

日蓮はそのなかで”人々を守る人はだれか””精神的指導者はだれか””子を思う親のよう

に人々を愛する人はだれか”・・・という三つの観点から、歴史の検証を行っています。

そして教主釈尊こそが、その三点において傑出した人であり、弾圧に抗しながら、一

切衆生は平等に仏性を有するという法を弘めている日蓮こそ、その魂を継ぐものである

と宣言するのです。

テヘラニアン
なるほど。恣意的主張に陥らない、客観的な知的努力がありますね。

なによりも、民衆への温かなまなざしがあります。

池田
日蓮は常に、みずからの主張をなすとき、経典にはどう書かれているか(文証)を

重視しました。また、理性と矛盾しないこと(理証)、現実にその主張が実証されること

(現証)を重視しました。

いわば”仏と対話しながら””理性と対話しながら”、そして”現実と対話しながら”、

常に自分の主張がドグマに陥っていないことを検証する・・・そのなかで、日蓮は「一切

衆生平等」という『法華経』の精神を深化し、民衆のなかに具現化しようとしたのです。

テヘラニアン
目的観の強固さ、意志の純粋さ、正義と平等を追求する情熱、人は僧侶の介在がなくても、

信仰によって宗教の本源に直接至れるという主張・・・これらのすべてが、驚くほど現代的

であり、民主的な宗教に通じるものです。

スーフィズムにおいても、この意志の純粋さということは、われわれの行動を試す最大

のものといってよいでしょう。

そして、私にはムハンマドの生涯を想起させます。日蓮に対する権力者の弾圧も、ムハンマド

がメッカの支配部族から受けた迫害に酷似しています。

また、ムハンマドも狂信者であるかのように誹謗されてきました。

しかし、無理解と迫害は、少しも驚くべきことではありません。

民衆を服従させ、精神的にも政治的にも自信を失わせ、無気力にさせようとする支配

勢力にとって、日蓮とムハンマドの教えは、これからも”脅威”であり続ける、と私は

確信しています。

池田
日蓮は「虎が吠えれば大風を起こす。竜が唸れば雲が起こる。野兎がないても驢馬

がいなないても、風も吹かず雲も起こらない」(『日蓮大聖人御書全集』】五三八頁、以下

『御書』と略記、趣意)と述べています。

すべてを見下ろした、悠々たる境界でした。