投稿者:一人のSGI 投稿日:2017年 8月23日(水)00時32分55秒   通報
さて、その延長線で私なりの一考察を書きました。

仏法では、あらゆる生物的存在を大別して「有情」と「非情」とに、分類しています。
「有情」とは文字通り、情のある存在であり、情熱、情念、感情を有し、意識的精神作用を営む生命体です。
「非情」とは意識とか感情などが生命の奥に埋没した生命体であり、植物などは総じて「非情」界ですし、
無生物は「非情」そのものです。

では、精子や卵子は動き回る生物なので「有情」でしょうか。
しかし、では「情のある存在であり、情熱、情念、感情を有し、意識的精神作用を営む生命体」でしょうか。

私は、精子や卵子は、それでも「非情」に分類され、意識とか感情などが生命の奥に埋没した生命体だと思います。
そしてその使命は生殖機能として、そのお互いのDNA情報を合一して、新しい生命の発生の場を提供することだと思います。

卵子と精子が合体するとは、卵子の核と精子の核が合体し、ひとつになることです。
つまり、卵子のDNAと精子のDNAが合体し、その両方が合わさった新しいDNAが生まれ出るのでしょう。
それによって、宇宙に冥伏していた新しい有情の生命が胎動します。
先に引用した中で、この転生の仕組みはこう説明されています。

>精卵細胞は、卵子と精子の機能を組み入れ、それらの働きに即しながらも、まったく新しい有情としての脈動を
開始するのです。

>受精現象を助演としながら、一つの生命体が、死の状態から生へと移るのです。
そして、受精の瞬間、宇宙生命自体に冥伏していた人間生命の三身が、その精卵細胞によってあらわれでるのです。

>人間生命へと顕在化するための「本因」を宿した死の生命の「我」が、みずからの傾向性に最も適合した
卵子と精子の結合をとらえるのです。
そして、卵子と精子の結合という受精現象を助縁としながら、一個の生命体が、この世に出現するのです。

>内から発動する「本因」とその顕在化を助ける「縁」が、互いに相応し、ぴたりと一致した瞬間、人間生命としての
精卵細胞が生まれるのです。
つまり、精卵細胞は「因縁」が「和合」した結果であり、産物であるといえましょう。

(死の状態で宇宙に遍満していたその新しい生命の応身も、そのDNAなどがマッチした一個の精卵細胞に凝縮すると考えられます)

>いいかえれば、宇宙自体を色心としていた死の生命が、一個の細胞に凝縮すると表現できましょう。
冥伏していた人間生命の三身が精卵細胞に凝縮するからこそ、たったひとつの細胞の中に、未来の人間像を築きあげるための
基本的な能力が備わることになるのです。

>生と死の明確な定義が、「御義口伝」に「如去の二字は生死の二法なり」とあり、そのあとの部分に
「法界を一心に縮むるは如の義なり法界に開くは去の義なり」と記されています。

>「御義口伝」の「法界を一心に縮める」という生の働き

、、とここまでは、受精卵の新しい生命についての解説です。