投稿者:大仏のグリグリのとこ 投稿日:2017年 8月13日(日)08時49分15秒   通報
この決意の根本は前に述べたごとく、
深い大御本尊のご慈悲をうけたことによる以外に、なにもないのである。

この決意をもたらすや、理事長矢島周平氏はじめ
和泉、森田、馬場、柏原、原島、小泉、辻などの幹部、および

青年部諸氏の会長推戴の運動となって、五月三日、私は会長に就任したのであった。

私は学会の総意を大聖人の御命令と確信し、矢島理事長の就任とともに、
会の組織をあらため、折伏の大行進の命を発したのである。

ここにおいて、学会は発迹顕本したのである。

顧みれば、昭和十八年の春ごろから、故会長が、
学会は「発迹顕本しなくてはならぬ」と口グセにおおせになっておられた。

われわれは学会が「発迹顕本」するということは、どんなことかと、迷ったのであった。

故会長は、学会は発迹顕本しなくてはならんと、この発迹顕本の実事をあらわさないことは、
われわれが悪いようにいうのであった。

みなは私同様、ただとまどうだけで、どうすることもできなかった。

昭和二十年七月、出獄の日を期して、
私はまず故会長に、かく、こたえることができるようになったのであった。

「われわれの生命は永遠である。無始無終である。
われわれは末法に七文字の法華経を流布すべき大任をおびて、出現したことを自覚いたしました。

この境地にまかせて、われわれの位を判ずるならば、われわれは地涌の菩薩であります」と。

この自覚は会員諸氏のなかに浸透してきたのであったが、
いまだ学会自体の発迹顕本とはいえないので、ただ各人の自覚の問題に属することにすぎない。

しかるに、こんどは学会総体に偉大な自覚が生じ、偉大なる確信に立って
活動を開始し、次のごとく、牧口会長にこたえることができたのである。

「教相面すなわち外用のすがたにおいては、われわれは地涌の菩薩であるが、
その信心においては、日蓮大聖人の眷属であり、末弟子である。

三世十方の仏菩薩の前であろうと、地獄の底に暮らそうと、
声高らかに大御本尊に七文字の法華経を読誦したてまつり、

胸にかけたる大御本尊を唯一の誇りとする。

しこうして、日蓮大聖人のお教えを身をもってうけたまわり、
忠順に自業化他にわたる七文字の法華経を身をもって読みたてまつり、
いっさいの邪宗を破って、かならずや東洋への広宣流布の使徒として、

私どもは、故会長の意志をついで、大御本尊の御前において死なんのみであります」
この確信が学会の中心思想で、いまや学会に瀰漫しつつある。

これこそ発迹顕本であるまいか。

この確信に立ち、学会においては、広宣流布大願の「曼陀羅」を、
六十四世水谷日昇上人にお願い申しあげ、法主上人におかせられては、
学会の決意を嘉みせられて、広宣流布大願の大御本尊のお下げわたしをいただいたのである。

七月十八日、入仏式をいとなみ、七月二十二日、学会全体の奉戴式が九段一口坂の
家政女学院の講堂に、法主上人、堀御隠尊猊下、堀米尊能師ほか数名の御尊師のご臨席をあおぎ、

学会の精兵は集いよって壮大にいとなまれたのである。

発迹顕本せる学会は大聖人のお声のままに大大活動にはいったのであるが、
前述の多難はまた覚悟のうえであるが、われわれがいかに位が高いかを確信すれば、
もののかずではないのである。

すなわち、われら学会人の位は、大聖人より次のごとく評されている。

「此の人は但四味三教の極位並びに爾前の円人に超過するのみに非ず
将た又真言等の諸宗の元祖・畏・厳・恩・蔵・宣・導等に勝出すること百千万億倍なり、

請う国中の諸人我が末弟等を軽ずる事勿れ進んで過去を尋ねれば
八十万億劫に供養せし大菩薩なり豈熈連一恒の者に非ずや

退いて未来を論ずれば八十年の布施に超過して五十の功徳を備う可し
天子の襁褓に纒れ大竜の始めて生ずる如し蔑如すること勿れ蔑如すること勿れ」
(四信五品抄 御書全集三四二ページ)と。

この御真文を拝しえた学会人は、偉大な自覚に立ち、東洋への広宣流布を大願としたのである。

しかも、立宗七百年を迎うるにあたり、一大決意のうえ、
実践運動にとりかかった会員は勇気に満ちみち、一糸乱れざる統帥のもとに、

厳たる組織のうえに、足並みそろえて大折伏に行進しだしたのである。

創価学会のごとき団体が、過去七百年の間に、どこにあったであろうか。

各理事、各部長の勇敢なる闘争心、つづく負けじ魂の各会員、講義に、折伏に、
火の玉のごとき状態である。

時は、まさに来れり。大折伏の時は、まさに来れり。
一国広宣流布の時は、まさに来れり。
いな、いな、東洋への流布の時が来たのである。
……………(関連資料Ⅳおわり)………………