投稿者:大仏のグリグリのとこ 投稿日:2017年 8月12日(土)16時25分10秒   通報
【西山論文・抜粋Ⅱ】「法華仏教研究」第24号142頁から143頁。

獄中の「悟達」の初出は、池田大作の小説『人間革命』第4巻(聖教新聞社,1968年)の
「生命の庭」の章ではなかったかと思われる。(中略)

以下、戸田の神秘体験への池田の積極的な意味付けを同書から抽出してみることにするが、
まずは、「仏とは生命なり」という認識から始めよう。

①戸田城聖のこの時の悟達の一瞬は、世界の哲学を変貌せしむるに足る一瞬であった。

②この悟達は、仏法を見事に現代に蘇らせ、近代科学に優に伍して遜色のないものとした。
(その結果、それは)仏法に鮮明な性格と現代的な理解を与えた。

③日蓮の生命哲学を、あらゆる古今の哲学のうえに位置せしめた記念すべき強力な発条であった。

④無量義経(法華経の開経)の12行(34の「非」)に秘沈されていたものが、
じつは真の「生命」それ自体であることをつきとめた。

次に、戸田が法華経従地涌出品を読んで虚空会への臨場体験を得て、
「我、地涌の菩薩なり」という広宣流布への使命の自覚を強めたことについての
池田の積極的な意味付けをみてみよう。

①虚空会への臨場体験を通して、金色燦然たる大御本尊(大石寺の戒壇本尊?)に向かって
合掌している自身を発見し、戸田が積極的な感情体験を含むホリスティックな信仰に達した。

②「孔子に遅れること五年にして惑わず、彼に先立つこと五年にして天命」を知った
45歳(44歳?)の戸田が、ついに広宣流布の使命に生涯を捧げる決意を固めた。

以上は池田の小説『人間革命』第4巻に示された戸田の獄中の神秘体験についての概要であるが、
この段階の創価学会は宗門に配慮して、「悟達」とまではいっても、

まだこれを「創価仏法の原点」とまでは呼んではいなかった。

(抜粋おわり)