2017年8月7日 投稿者:赤胴鈴之助 投稿日:2017年 8月 7日(月)02時43分57秒 通報 21世紀への選択 イスラム文化を象徴する時間に対する価値観 P60 池田 私は一九六二年の一月末から、約二週間、博士の故郷であるイランをはじめとして イラク、トルコ、エジプト、パキスタンのイスラム諸国を訪れました。 当時、日本は「高度経済成長」の坂を、猛烈な勢いで上っているところでした。 新しい技術や製品が街にあふれ出し、「物質的進歩」の至上価値を皆疑わなかったころです。 そういう日本から、宗教的伝統を重んじるイスラム諸国を訪れたのです。 それは新鮮な驚きでした。なにかししら懐かしくもありました。例えば、時間の概念です。 イスラムでは日常的な時間を幾つかに分ける、と聞きました。 テへラニアン 祈る者のための時間「サラート」、労働のための時間「ショグル」、趣味や ゆとりのための時間「ラーハ」などですね。 池田 金儲けのためにあくせく働く「ショグル」の時間は、あまり高く評価されませんね。 日本などでは、「ゆとり」といっても、翌日の仕事に向けて心身をリフレッシュする ための”余暇”の時間は「ラーハ」というよりは、「ショグル」の一部と位置づけられる かもしれません。(笑) テヘラニアン ワーカホリック(仕事中毒者)にとっては、すべてが「ショグル」。 遊びも仕事に奉仕させられています。 人生に何か目的があって、そのために働くのではない。働くために働くということに なります。 池田 一方、「ラーハ」は、友と有意義な対話をしたり、旅をしたり、詩を創ったり、人 生の意味を思索する時間ですね。 実際にイスラムの国々を訪れ、その「ラーハの時」がゆったりと流れているのを実感し ました。 また、祈りの時間、「サラート」もそうでした。 異なる文化とありのままの姿で出合い、驚いたり感動したりすることは、大切です。 現代社会において、人は「他者」と出会うとき、まず”自分とは異質なもの””奇異な もの”、さらには”悪”とすらみなして、身構える傾向がある。現代の深刻な病理です。 Tweet