2017年7月26日 投稿者:赤胴鈴之助 投稿日:2017年 7月26日(水)02時29分43秒 通報 21世紀への選択 生い立ち・・・幼き日の思い出 P28 池田先生とテヘラニアン博士との、生い立ちが語られています。 お二人の話の中に、母親の事が語られています。 宗教的心情は幼いときに、母親から受け継いだ人が多いのでしょう。 仕事に対する、真摯な態度、夜の明ける前から、起きだして海苔漁に出かける、主人に朝ご飯を 用意する池田先生の、お母様の勤勉な姿が目に浮かびます。 テヘラニアン博士のお母様は、朝な夕なにコーランを唱えて家族の無事を祈っておられたのだろう と推察します。 その深い信仰心は子に孫に受け継がれて行くことが文化であり、幸せな人生なのでしょう。 * 池田 実家が、海苔採取という栽培漁業を営んでいたこともあり、潮の干満に合わせ真夜中 に仕事へと出かける父たちの姿と、それを懸命に支える母の印象が深く残っています。 * テヘラニアン 私が忘れられないのは、朝な夕なにコーランを唱える母の美しい声です。 幼き日にいつも耳にしていたこの声が、私の心に深い宗教的情操を植えつけました。 以上 鈴之助 生い立ち・・・幼き日の思い出 P28 池田 さて対話を進める前に、私たちの相互理解を深めていくために、まず博士の生い立ちから うかがっていきたいと思います。 テヘラニアン わかりました。私は、一九三七年、イランのマシュハドというところで生まれました。 この「マシュハド」という地名は、”殉教の地”を意味する言葉に由来するものです。 ここには、イスラム・シーア派の最高指導者、第八代イマーム・レザーが埋葬されていま す。 九世紀に、ホラーサーン州の知事として赴任してきたレザー師は、この地に到着して間 もなく、敵対者たちに毒殺されてしまったのです。 レザー師は、公平な正義の指導者として名高い人だっただけに・その死が大変惜しまれ、 この地は師にちなんで、”殉教の地”を意味する「マシュハド」と名づけられたのです。 池田 その墓所であるイマーム・レザー廟は、いまでも毎年、世界各地からシーア派の巡礼者 たちが訪れる聖地として有名だそうですね。 テヘラニアン ええ。ですから、そこで生まれた私は、否応なしに、「マシュハド」という場所がもつ 精神的な意味合いを、子供のころから意識して育ってきたのです。 私は現在、ハワイで暮らしていますが、生まれ故郷を思い出すとき、目に浮かんでくる のは、イマーム・レザー廟の黄金色のドームと、それに付属する高い塔の情景です。 ドームは市街地の中心部にあり、私の家からもよく見えました。 そしてそこから、日の出、正午、日没と、塔から放送される祈りへの呼び声が聞こえてきた のです。 池田 太陽の光に輝く黄金色のドーム、そして街々をつつみこむ祈りの声・・・まさに、お国を 象徴する情景ですね。 私は一九二八年、東京の大田区で生まれました。 当時は、都会の田舎という感じで、とくに記憶に残っている光景は、家の近くの海岸から望む 海です。 とてもきれいな、青い海でした。 実家が、海苔採取という栽培漁業を営んでいたこともあり、潮の干満に合わせ真夜中 に仕事へと出かける父たちの姿と、それを懸命に支える母の印象が深く残っています。 テヘラニアン 私が忘れられないのは、朝な夕なにコーランを唱える母の美しい声です。 幼き日にいつも耳にしていたこの声が、私の心に深い宗教的情操を植えつけました。 私の一日は、鐘の音、アザーン(礼拝時の告知)の詠唱、そして母のコーランを唱える 声によって区切られ、明け暮れたのです。 こうした生活が、まだ幼かった私の生命に美しい規則性を与え、この世に自己を超越 した世界があることを銘記させました。 いま思えば、私は生まれながらにして、精神生活の世界というものを、知らず知らずの うちに経験してきたような気がします。 Tweet