2017年6月29日 投稿者:mission 投稿日:2017年 6月29日(木)05時18分12秒 通報 《池田大作 名言100選》より 【民衆を苦しめる社会の不条理と戦ってこそ、政治家である。その戦いがなければ政治屋である。最も苦しんでいる人に、救済の手を伸ばすことこそ、政治の原点である。 権力には魔性がある。ゆえに権力に近づく人間は峻厳にわが身を律せねばならない。 指導者には、権力を民衆の幸福のために用いる責務がある。まず注意深く、自らの「人間としての良心」に耳を傾けなければならない。政治家である前に、哲人でなければならない】 《1989.2.14第十二回全国青年部幹部会》より抜粋 【哲人政治】 「政治的な生き方」と「哲学的生き方」は、その本質において、真っ向から対立する。 政治は「弁論術」すなわち「うまい話」によって、「多数」の人を無知のまま動かそうとする。 哲学は「対話」によって、「一人」「一人」を心から納得させようとする。 政治は「人にどうみられるか」を気にやむ。 哲学は「自分が実際にどうであるか」に心をくだく。 政治は、青年を「操作」するために、真実から目をそらさせようとする。 哲学は、青年を「育成」するために、真理に目覚めさせようと努力する。 こうした対立が続くかぎり、哲学する「正義の人」は、悪しき政治の権力に、永遠に圧迫される運命にあろう。ソクラテスの死刑は、その象徴であった。 ソクラテスの弟子プラトンは、こう結論する。 「正しく真実に哲学する者が政治的支配の地位につくか、現に権力を持っている人々が、真実に哲学するようになるか、いずれかが実現しないかぎり、人類の不幸はやむことがないだろう」 有名な「哲人政治」の理想である。 ある意味で「立正安国」の思想にも通ずる結論であった。 ***************** 『立正』とは『正を立てる』…生命尊厳の思想である『正義の旗』を打ち立てる事。 そう↑先生の指導にあったと思います。 民衆の為の 人間の為の『立正安国』であるから、日蓮大聖人は『立正安国論』の「国」には「囗(くにがまえ)」に「民」を入れた文字が多い。 だから国は「民衆が生きる場」であって、『安国』の意味も国家体制の安泰では決して無い。 民衆自身の幸福あり、その民衆が住む国土の安穏を意味してる。 その『民衆の幸福』とは程遠い案件を閣議決定や法案採決で強行する自民へ、どこまでも迎合し続ける〔公明〕に『立正安国』を築いてるとは絶対に思えない。 その事に『おかしいじゃないか!』と叫んだ者達を「粛清」する今の〔創価学会〕にも、『生命尊厳』の思想とは真逆の「生命軽視」「人間(会員)蔑視」の思想が蔓延っている。 「必死な形相」写真もそうです。 去年の参院選や今の都議選もクラクラする様な炎天下の中で、支援する会員達は公明議員の為に街頭演説に耳を傾けているんだ。 ならば公明記者も支援する会員達と同じ様に額に汗して写真を撮れば良いものの、なぜ姑息な手法を駆使して支援する会員達を欺く策を講じるのか? 池田先生が叫ばれた『哲人政治家』を、今の公明党から私は見付け出せない。 Tweet