投稿者:大仏のグリグリのとこ 投稿日:2015年 2月 4日(水)09時42分21秒  

小説『新・人間革命』第十九巻には、人間主義の対話を広げゆこうとする、
池田先生の決意の言葉が、次のように綴られています。

「人間の救済を掲げてスタートした宗教が、やがて異教徒を迫害、弾圧したり、
宗教同士が戦争を引き起こしているのが、残念ながら人類の歴史といえる・・・・

人類の未来を考えるなら、宗教差別や宗教戦争を根絶していくために、
人間という原点に立ち返って、宗教間、文明間の対話を展開していくことが、
何よりも重要な課題になる。

その突破口を開いていくのが、仏法者としての私の使命であると思っている。
仏法の本義は、一言すれば、《人間宗》ともいうべき、人間生命の尊重の思想だからだよ」
(一九五~六頁)――と。

「人間宗」である仏法が、一種の仲介者となって諸宗教や、
諸文明を人間の次元で結びつけ、融和させていくこと。

池田先生による対話運動の根本的な意義は、そこにあると言っても過言ではありません。
また、それは極悪人に対しても変化の可能性を信ずるということでもあります。
池田先生にとっては、反人間主義も生かすべき存在なのです。

創価学会から見て、不当な「破門」を行った日蓮正宗――。
この既成仏教の権威と戦う意義を語った次の言葉は、それを証明するものだと思います。

「広宣流布を破壊する仏敵とは、絶対に妥協してはならない。
徹底して戦い、破折し、打ち負かして、その末路を歴史に刻んでいくことこそ、真の慈悲である」
(聖教新聞二〇〇七年八月二十八日付)。

「仏法破壊の者とは断じて戦いぬく。いつわり親しんではならない。
それでなくては、かえって《敵》となる。妥協してはならない。
はっきり言ってあげることが、仏法の慈悲にかなう実践であり、相手を守ることになる」
(池田大作全集第七十九巻一六八頁)――と。

悪を打ち破って、初めて善の意味が明らかになります。
その意味では、悪は善の顕揚のために生かさねばなりません。

また、打ち破られた悪が、自己を悪と認識すれば、もはやそれは悪ではないのです。
氷が水であると知れば、あとは氷を溶かせば良いのです。
氷は氷の中身のまま水となります。

そのように、悪人は自らを変えずに蘇生します。
これが池田先生の信ずる「人間の変化の可能性」です。
万人が己の本性を真に生かす可能性です。

つまり、善を輝かせ悪を善化するために戦う――それが仏法本来の慈悲ではないかと
池田先生は訴えているのです。
人間主義の戦いは、善悪ともに「生かす」戦いなのです。