投稿者:大仏のグリグリのとこ 投稿日:2015年 2月 3日(火)11時44分39秒  

そして
「国家を憂うる尽忠の念は天より高く、大衆を愛すること仏のごとくである。
信心は強固にして金剛のごとく、仏の教えにたがわざらんことを願っては、
夜なく反省し、ご明珠のごとき生活であらせられた。

また、その学問上の功績にいたっては、全世界の一大理論たるべき価値論をあらわし、
その人を教化するや、門下三千人、かかる高徳の人が、どうして牢屋で獄死せられたのでしょうか。

もし先生が法華経の行者でなかったら、この運命はありえないのです。
されば、先生は、法華経のために身命をなげうったお方である、
法華経に命をささげた、ご難の見本である」
(同三一九頁)と語りました。

さらに、難を恐れて牧口・戸田両先生を見捨てた日蓮正宗に対して

「先生の法難におどろいて先生を悪口した坊主どもよ、法を捨て、先生を捨てたるいくじなしどもよ。
懺悔滅罪せんと欲すれば、われらが会にきたって先生の遺風をあおぎ、仏のみ教えに随順すべきであるぞ」
(同三二一頁)、と痛烈に批判しました。

戸田先生の怒りは激しかった。
獄死した牧口先生は、日蓮正宗の悪侶に切られ、いじめぬかれた。

懺悔し、罪を滅する気があるならば、学会に来るべきである。
学会には日蓮大聖人の精神が脈々と流れているのだ。

「仏のみ教え」に随順するつもりがあれば、
学会で学ぶべきであるという戸田先生の大確信でもあったのです。

ここで大事なことは、戸田先生は日蓮正宗に来なさいとは言われていない。
「われらが会」創価学会に来なさいと言われたことです。

恩師を捨てた宗門と退転者に対する戸田先生の無念の叫びであり、
すさまじい怒りであり、正義の怒りであったのです。

大聖人も「瞋恚(怒り)は善悪に通ずる者なり」(御書五八四頁)と仰せです。

さらに
「先生のお葬式はと聞けば・・・・巣鴨から、小林君が先生の死体を背負って帰ったとか。
そのときの情けなさ、くやしさ。世が世でありとも、恩師の死を知ってか知らぬのか、
知らないで来ないのか。
『よし!この身で、かならず、かならず、法要をしてみせるぞ!』と誓ったときからのわたくしは、
心の底から生きがいを感じました」(戸田城聖全集三巻四二〇頁)とも語っています。

戸田先生は、牧口先生という大師匠を本当に大切にされた。
ただ一筋に恩師・牧口先生を思われた。

池田先生も同じく、戸田先生を一心に求め、戸田先生に全生命をかけて尽くされた。
この「師弟不二」の一念が仏法の真髄であると思います。

これこそが創価三代にわたる「創価学会の魂」なのではないでしょうか。