投稿者:生涯&広布一筋兄弟メール 投稿日:2017年 5月22日(月)16時17分49秒   通報
http://6027.teacup.com/situation/bbs/69217(6)より続く

毎日、唱題と祈念と法悦の日はつづけられるとともに、不思議や、数馬判事の私を憎むこと山より高く、
海よりも深き実情であった。法罰は厳然として、彼は天台の一念三千の法門の取り調べになるや、重大
な神経衰弱におちいり、十二月十八日より三月八日まで一行の調書もできず、裁判官を廃業してしまったのである。

牧口先生をいじめ、軽蔑し、私を憎み、あなどり、同志をうらぎらせた彼は、裁判官として死刑の宣告
を受けたのである。その後の消息は知る由も無いが、阿弥陀経の信者の立場で私ども同志を裁いた彼は、
無間地獄間違いなしと信ずるものである。不思議は種々つづいたが、結局、七月三日に、私はふたたび
娑婆(しゃば)へ解放されたのであった。

帰った時の憤(いきどお)りは、御仏にあらずんば知るあたわざるものがあった。
創価学会の姿はあとかたもなく、目にうつる人々は御本尊を疑い、牧口先生を恨み、私を憎んでいるのである。

狂人的警察官、不良の官吏(かんり)、斎木という特高の巡査に殴られ、いじめられ、ついに死を覚悟して、
取り調べのすきを伺って二階から飛び降りたほど苦しんだ稲葉伊之助などは、四カ年の刑を恐れて畜生界の
姿であった。

その他の幹部は、一人となく退転し、
強く広宣流布を誓った自分ながら、空爆の後の焼け野原に立って孤独を感ずるのみであった。

蘇生した矢島周平くんすら、手のほどこすところなく、病めるウサギのごとく穴居(けっきょ)しているのであった。