2017年5月20日 投稿者:生涯&広布一筋兄弟メール 投稿日:2017年 5月20日(土)11時54分1秒 通報 編集済 本日より、現在、投稿中の「創価学会の歴史と確信」と並行し。 ある方から、親切に送っていただいた戸田城聖全集第3巻に収録されています、戸田先生の「生命論」を掲載させていただきます。 戸田先生の生命論とは何だったのか、獄中の体験とは何だったのか、当時の時代状況の中で書かれた「生命論」 今、この時期に、創価学会の原点、戸田先生の獄中体験に基づいて書かれた生命論を学ぶことは意味があるように思います。 「生命論」 生命の不可思議性 我が国の神道が、超国家主義、全体主義に利用されて、ついには、無謀なる太平洋戦争にまで発展して行ったときに、 私は恩師牧口先生及び親愛なる同志とともに、当時の宗教政策のはなはだ非なることを力説した。 即ち、日本国民に神社の礼拝(らいはい)を強制することの非論理的、非道徳的ゆえんを説いたのであるが、 そのために、昭和十八年の夏、弾圧されて、爾来(じらい)二ケ年の拘置所生活を送ったのであった。 冷たい拘置所に、罪なくとらわれて、わびしいその日を送っているうちに、思索は思索を呼んで、ついには人生の根本問題であり、 しかも、難解きわまる問題たる「生命の本質」につき当たったのである。 「生命とは何か」「この世だけの存在であるのか」「それとも永久に続くのか」これこそ、永遠のナゾであり、 しかも、古来の聖人、賢人と称せられる人々は、各人各様に、この問題の解決を説いてきた。 不潔の拘置所には、シラミが好んで繁殖する。春の陽光を浴(あ)びて、シラミは、のこのことと遊びにはい出してきた。 私は二匹のシラミを板の上に並べたら、彼らは一心に手足をもがいている。 まず、一匹をつぶしたが、他の一匹はそんなことにとんちゃく無く動いている。 潰されたシラミの生命は、一体どこへ行ったのか。永久にこの世から消え失せたのであろうか。 Tweet