投稿者:大仏のグリグリのとこ 投稿日:2015年 2月 2日(月)11時44分35秒  

このころ創価教育学会の会員は、
青森・宮城・新潟・長野・茨城・神奈川・兵庫・山口・宮崎・鹿児島などの各県に広がっていて、
支部も東京に九支部、地方に七支部という陣列になっていました。

教育改造を目指してきた創価教育学会が、
宗教革命を根底とした「生活革新運動」へと姿を変えはじめたのは、
一九三九(昭和十四)年(六十八歳)のころからです。

地道な運動のなかで、教育者ばかりではなく、
家庭の婦人や一般の職業の人たちも会員に多く集まっていました。

じつはこの頃、牧口先生自身も法華経はすべての生活法の革新の鍵で、
教育法の改革はその一部にすぎないという思いを強く持つようになっていたのです。

同年十二月に東京で総会を開き、教育者はもとより、
教育者ではない会員も多く参加し、この会の事実上の「第一回総会」としました。

そして、一九四〇(昭和十五)年十月(六十九歳)の時に、「第二回総会」を開いて、
創価教育学会の綱領・規約・組織などが検討され、この時点で牧口先生は、

「創価教育学会研究部・研究所長」から正式に「会長」の任に就き、
戸田が「理事長」に就任しました。

この綱領が、翌年の一九四一(昭和十六)年の「価値創造」(創刊号二号~四号)に発表され、
そこに記された「会の目的」には

「第二条 本会は日蓮正宗に伝はる無上最大の生活法たる三大秘法に基づき、
教育・宗教・生活法の革新を計り、忠孝の大道を明らかにし、
以て国家および国民の幸福を進めるを目的とす」(牧口常三郎全集十巻六二頁)と定めたのです。

そこには「三大秘法に基づき」「教育・宗教・生活法の革新を計り」
「国家および国民の幸福を進めるを目的」と明記され、仏法流布を推進することが確認されました。

つまり牧口先生は
「日蓮大聖人の大願とする広宣流布を実現する団体」と創価教育学会を位置づけたのです。

この年の「価値創造」発刊の時期は、あくまでも一対一の対話を基本にする座談会という形で、
本格的な宗教革命運動の実践(大善生活法の実践・折伏行)が急激に盛り上がっていたのです。