投稿者:大仏のグリグリのとこ 投稿日:2015年 2月 1日(日)23時40分46秒  

事実、牧口先生は日蓮正宗に帰依してからも
「発達したる人民は必ずしも宗教の起源地、其の他の霊地を参詣せずとも、
内心の信仰によりて其の宗教心を満足するを得るに至る」という考えは、
いささかも揺らいではいません。

それは、当時の状況を語った戸田先生の論文『創価学会の歴史と確信』を読めばわかります。

そこには
「御開山上人の御遺文にいわく『時の貫首為りと雖も仏法に相違して己義を構えば之を用う可からざる事』、この精神において、牧口会長は、神札は絶対にうけませんと申しあげて下山したのである。

しこうしてその途中、私に述懐して言わるるには、
『一宗がほろびることではない。一国がほろびることを、なげくのである。
宗祖聖人のお悲しみを、おそれるのである。いまこそ国家諌暁のときではないか、なにをおそれているのか知らん』」と。
(戸田城聖全集第三巻一〇六頁~七頁)。

牧口先生の態度は、あくまでも「大聖の教義にそむけば」であり、
「一宗(日蓮正宗)がほろびることではない。
一国がほろびることをなげくの」であり「宗祖聖人のお悲しみを、おそれるので」あって、
時の法主の指南に信伏随従していた訳ではないのです。

この精神は、創価学会創立以降、二代・三代会長に受け継がれている精神で、
創価学会は始めから「御本尊根本」「依法不依人」「御書根本」
に立って広宣流布を推進して来たのです。

これを今の私たちに置き換えればどうなるでしょうか。

「創価学会が滅びることを嘆くのではない。
日本や世界の民衆が不幸になっていくことを嘆くのである。
大聖人の悲しみ、三代会長の悲しみを恐れるのであって、
私たちは時の会長や組織の方針に信伏随従しているのではない」ということになるでしょうか。

私たちは、今までも、これからも、
永遠に「御書根本」「三代会長根本」に立って広宣流布を推進していくのです。

これが創価三代に受け継がれている学会精神であり、本門の池田門下生が歩む道です。

牧口先生が入信して三年目に当たる一九三〇(昭和五)年十一月十八日、
『創価教育学体系』第一巻が刊行されたのを機に、牧口先生と常に行動を共にしてきた
戸田先生の二人の手によって「創価教育学会」として歩みを開始しました。