2017年3月12日 投稿者:大仏のグリグリのとこ 投稿日:2017年 3月12日(日)09時06分35秒 通報 大聖人は天台の一念三千論そのものは「法華経」に本来、説かれたものであり、 天台がそれを法華経から拾い出したと解説しています。 そして、この一念三千は 〝万人成仏の原理〟であるとの認識から、それを「仏種」と表現しました。 さらに大聖人は、天台が一念と表現した実体(仏種)こそが、 宇宙生命の根源である「南無妙法蓮華経」と悟り、 この〝悟り〟をそのまま「本尊」として一幅の曼荼羅に図顕します。 ここに至り、天台の打ち立てた〝一念三千〟を、 大聖人はより本源的に説かれるとともに、それを〝信仰の対象(本尊)〟として 具現化し、万人成仏の方途(実践法)を確立したのです。 この大聖人独自の解釈を「事の一念三千」といいます。 生活の中に生きず、時代にも、文明の中にも生きない宗教は「死の宗教」です。 宗教は単なる形式ではないのです。 天台が力説した「内観(観念観法)」は、大聖人の仏法においては「信心」になります。 Tweet