投稿者:ジョーカー 投稿日:2017年 2月14日(火)09時24分47秒   通報
元愛読者様
>先生は、2010年以前の本部幹部会で、不甲斐ない弟子を糾弾されたんですよね。それ以上の総括はないですよね。
その先生の手の打たれ方が、ぬるかったとでも言うのですか? 何を加える必要があるのか、さっぱりわかりません。<

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師の総括と、弟子の総括という、二つの視点でみていくことが大事であると思います。師は、54年問題を乗り越え(変毒為薬)、世界192ヵ国に仏法を弘めるという偉業を遺された。ここには、何があろうと広宣流布を実現する戦いを貫いた、一人の偉大な人間の姿があります。御書に「大悪起これば大善起たる」とあるように、弟子の裏切りというマイナスをも反転し、今日の大創価学会を築かれた。

仏法の極意は、マイナスをゼロにするのではなく、そのままプラスに反転するところにあります。だからこそ、一番苦しんだ人が一番幸せになれるのです。これを変毒為薬といいます。総括とは、けじめをつけることであり、変毒為薬するという意味でもあります。54年問題を、師は変毒為薬(総括)された。それでは、弟子は総括しているかどうか。ここが問われています。

54年問題の本質は、弟子が広宣流布を妨げる「魔の存在」に成り果ててしまったことです。師は、それを見抜き、悠然と見下ろして、勝ち越えて行きました。現創価学会は、「師に守られている」団体であると捉えるのが、私は正しい見方であると考えます。つまり、54年問題は、弟子側の総括はできておらず、けじめがついていないのです。本来、弟子が師を守ることが創価の精神であるにも関わらず、弟子が師の足を引っ張り、亡き者にしようとした。これは、広宣流布を破壊する、恐ろしい行為です。

では何故、弟子が魔の存在となってしまったのか。また、それを防ぐにはどうしたらいいのか。ここにメスを入れなければ、弟子の総括はありません。仏法は師弟ですから、師が総括したからといって、それで終わりではありません。弟子が総括してはじめて、54年問題の決着があるのです。そして総括した先に、創価学会の未来(発迹顕本)の姿もあります。

弟子側の総括のキーワードは、「人間主義」「話を聴く」「自立した信心」「自分で考える」「気づき」等です。54年をあらゆる角度から検証し、二度と過ち(弟子が魔になること)を繰り返さないようにしていくこと。体質やシステム面を改善し、人災を予防すること。弟子が広宣流布を担うとはそういうことです。54年の責任は、弟子自らがとる。師に尻拭いしてもらっているだけであることを自覚し、向き合うこと。それが人間革命の道です。

どこまでいっても54年の総括の目的は、広宣流布のためであり、未来の創価学会を創るためです。相変わらずは惰性であり、退転です。況や、少子化で分母も減っていく時代において、いままで通りでは勝てない。目を見張るような進化(発迹顕本)が必要なのです。もちろんそれは特別のことではない。師の指導を正しく学び、実践していくこと。思い込みではなく、「正しく」が極めて重要なのです。