投稿者:謎の弟子X 投稿日:2017年 2月10日(金)22時41分31秒   通報 編集済
「さあ、戦闘開始だ!」
今年(2004年)の一月二日、私は牧口記念会館から、十二年ぶりに立川文化会
館へ向かった。ここは、栄光の創価の歴史と、光輝燦たる勝利の学会魂を刻印し
た、大法戦の本陣でもある。

あの暗い、陰湿な「第一次宗門事件」の嵐のさなか、私は立川に陣地を定めた。
ここ第二総東京(当時は第二東京)で、卑劣な宗内の黒き権力と、それに連なる
邪悪と陰謀の反逆者との戦いの指揮を、私は未来を、そしてまた未来を展望しな
がら、厳然と執り始めた。
その未来の広宣流布への大激戦を胸中に納めながら、昭和五十四年(一九七九
年)の四月二十四日、私は、学会本部にほど近い新宿文化会館で、第三代会長の
“勇退”を発表した。
翌日、再び、静まり返った立川文化会館に戻り、信頼する幾人かの同志と語り
合った。
「また来たよ。お世話になるよ」
「これからが、私が自由奔放に指揮を執っていける時代なのだ。これからは、
形式や機構に縛られることなく、妙法の剣を高らかに掲げながら、無限の力で戦
闘を開始していくことができるからだ。これが妙法だ。御仏意だ。皆、がっかり
しないで、一生涯、学会のため、広布のために、生き抜き、戦い抜くのだよ。そ
して勝利の人生を築くのだ」
皆が泣いていた。その時、第二総東京の友が流した悔し涙は、終生、わが胸か
ら消えることはない。
この健気な、広宣流布に立ち上がった同志である無名の庶民を、いったい誰が
守るのか! 牧口先生、戸田先生が命がけで創造された尊き学会を、誰が守り抜く
のか!
悪賢き反逆の坊主と堤婆の如き一派の連中は、卑劣にも私を辞めさせて、して
やったりと下品に笑っている。そんな我利我利亡者の下劣愚劣な悪党どもの天下
には、絶対にさせてたまるものか! 私は、ただ一人、深く深く決意した。
広宣流布は、御本仏の御遺命である。もう一度、無敵の「正義の学会」を築く
のだ。手作りで「師子王の弟子」を厳然と育ててみせる。
私に続け! 猛然と立ち上がれ! 正義を叫べ! わが真実の弟子たちよ!
と、私は師子の如く走り始めたのである。
今まで、どれほどの中傷非難を、私は受けてきたことか。これは、御聖訓通り
の正義の難である。恩師の決意を、わが決意としていくならば、そんな中傷非難
など物の数ではない。臆病者の師子などはどこにもいない。

(人間世紀の光より、2004年3月12日)