投稿者:大仏のグリグリのとこ 投稿日:2015年 2月10日(火)16時42分15秒  

涅槃経という経典は、学会員にとって非常に聞きなれた言葉であるとともに、
御書の中には「三百二十六箇所」も涅槃経という言葉が登場します。

日蓮大聖人もその経典の文証を多分に引かれ、天台は「法華を命に、涅槃を重宝」(大正三十三巻七〇四頁)に譬えました。

この涅槃経には「小乗部の訳」と「大乗部の訳」があるのですが、
釈尊の死後、弟子たちはその死をどう解釈すればいいのかという問題が起こり、
その死を宗教的実践の完成と見る考え方が出来上がっていきました。

その後、大乗仏教の運動が興起する時代になると、
小乗部の訳したその考え方は批判されるようになり、
むしろ釈尊が目指したような現実社会で涅槃の境涯を目指す生き方が理想であると、
大乗部の人たちは考えるようになっていったのです。

さて、むずかしい話はさて置き、この「涅槃」ということを少し考えていきたいと思います。

日蓮大聖人は、一代五時継図の中で
「十九出家、三十成道、八十涅槃。涅槃経に云く八十入滅」(六五八頁)と、
釈尊の経歴を紹介しています。

釈尊は十九歳の時に「生老病死」の解決の道を求めて出家し、三十歳でその解決策を会得、
その後伝道の旅を続け、八十歳の時にインド・クシナーラーで涅槃に入りました。

仏典によれば、釈尊は衰弱し、侍者の阿難の肩に寄りかかりつつ、ゆっくりと歩まれる。
沙羅樹の林の中で横になり、もはや一歩を運ぶ力さえ残っていなかった。

そして釈尊は死の直前、集まっていた弟子たちに
「お前たちは、私が亡くなっても、指導者がなくなったと思ってはならぬ。
私の説いた教えと掟とが、お前たちの指導者である。
お前たちが今、もし疑いを持っているなら、尋ねるがよい。

後になって、私が生存中に聴いておけばよかったと、後悔するようなことがあってはならない。
もろもろの事象は過ぎ去るものである。努力して修行を完成させなさい」(南伝大蔵経第七巻)
と有名な言葉を最後に残して涅槃に入ったと伝えています。

偉大な釈尊の死を、人々は「涅槃」と呼びます。

涅槃とは、サンスクリット語で《ニルヴァーナ》、パーリ語で《ニッバーナ》といい、
その語に漢訳仏典は「涅槃」といった漢字をあてました。

「涅槃」の言葉の意味は種々ありますが、その一つに「火の消えた状態」という意味があります。

この意味から考えれば、釈尊は二回の涅槃を経験したことになります。
三十歳の時に菩提樹の下で「根源の妙法」を悟ったときには、すでに煩悩の火は消えていたと思うのです。

その煩悩の火の消滅が第一の涅槃です。