投稿者:寝たきりオジサン 投稿日:2017年 1月27日(金)20時16分30秒   通報
(質問)
全体の足並みがそろわなくて、戦いが遅れているのですが、
どのようにしていったらよいでしょうか。

(答え)
それは、あなたが率先実行することです。
「いっしょに座談会に行こう。いっしょに指導に行こう。
いっしょに教学を勉強しよう」それが根本になります。
生意気なようですが、私は「一生懸命に学会を守ろう、
広宣流布のためにがんばろう」と真剣に戦っています。
理事の方もこの私の真剣さにうたれ、張り合いをもって
前進することができるのだと私は思う。
やはり「長」すなわち中心者の一念です。

だから戸田前会長が「一人立て」といわれたのです。
仏法でも一人の成仏から始まるのです。

みんなを、うまく、要領よく使っていけばいいという考えは
「策」です。

あなたが進むことです。まず、あなたが立ち上がって
皆をいっしょに手をとり足をとって、連れて行ってあげようと
努力することです。そして、もう一歩、信心の激励をしていくことです。

こういうところに人は感ずるのです。
身口意の三業で、しっかりやってください。
そうすれば、同じ話をしても、相手の受け方が違います。
すべての源泉は指導者、中心者の一念です。

「全地区員が、どうか一人も残らず、
立派に広宣流布の闘士となって、功徳をいただけるように、
一人前の大信者になって頑張っていけるように」と
その一念で指導しなさい。全部信心根本です。
それを、策や方法だけで、工作して行こうという
考え方はいけません。

私の知っている中に、立派な地区部長さんがいまして、
よく地区員の面倒をみているのです。
したがって、地区員の人たちが、
「地区部長のためならなんでもしよう」とまで
慕ってくるのです。

地区をそこまで建設し、組織の上だけでなく、
そこに生き生きとした血をかよわしていった地区部長は
偉いと思いました。地区部長として偉ぶっているのではない。
地区員に、御本尊の使いとして尽くしているからなのです。
「人生意気に感じて」の姿です。それが全部信心根本に、
そういうふうにできる地区部長が偉い。私はそう確信します。

また、われわれは、戸田前会長がほんとうに慈愛をもって訓練し、
守ってくださったから「命を捨てよう」という気持ちで今日まで来たのです。
また、私は会長として皆さん全部と話をしようと思っても、
5百万人、1千万人の人とは、一人一人お話はできません。
ですけれども、私を支えてくださっている理事長、総務、副理事長、
そしてまた、理事の方々に対しては、全魂をかたむけて
お願いもするし、また指導もしております。

信頼と尊敬と、そしてともに命を御本尊のもとに
捨てようではないかという、その堅い結び合いがあって、
今日の学会の発展があった。悲壮感など微塵もない、
和気あいあいとした和合の姿です。
どうか、その決心で、せめても自分の与えられた百人か、
2百人か、3百人の人たちを、立派な信心にさせきれるような
地区部長になっていただきたい。

それは決して学会のためではない。
我々がこの世に生をうけて、我々を中心として
そういう気持ちになってくれる人が、何百人もできたということは、
人間として最高ではありませんか。
そういう感激と決心で頑張ってください。

【問】
地区全員が、功徳をうける信心をしていくように
願っておりますが、なかなかうまくいかずに悩んでおります。

【答】
結論は、地区全員に御本尊をしっかり拝ませていく以外にはない。
まず、あなたが、そのように地区員全員の幸福を真剣に
ご本尊に祈っていくならば、因果倶時で必ず立派な地区になっていくことは
絶対に間違いない。それを確信し、地道に、粘り強く一人一人の地区員に、
正しい信心指導をしていっていただきたい。

だが、所詮、それもあなた自身のためです。
あなたの地区は、あなた自身の人間革命の場であり、
福運をつける道場です。地区員の信心向上と幸福を願って、
指導に励むことそれ自体、あなた自身が、大いなる福運、
功徳をうける因となるのです。妙法には決して無駄はありません。

われわれも、だいたい初信のころは、みんな地区部長や支部長を、
悩ませたのではないだろうか。神経質にならず、
自分自身の人間革命への鏡とし、試練と思って、
題目をあげぬいて、着実に一つ一つを完成していっていただきたい。

これが、汝自身のもっとも身近な仏道修行のコースではなかろうか。
こう決めれば、大変なことも、苦しいことも、辛いことも
全部楽しいものと変わってきます。

像法時代の後半は、多造塔寺堅固の時であった。
ゆえに、お寺を建てれば功徳があった。
いまは時代が移り、さらに根本的な活動が必要な時です。
すなわち、御本尊を持たせていく源泉ともいうべき学会組織、
すなわち、地区・班・組織をつうじ、
一人一人を大信者に育てていく、これが最大の功徳をうけゆく
直道となるのです。

学会組織は個人の信心の推進のためと、広布の目的実現のための
重要なる組織です。現代語で言えば組織といい、
仏法語では和合僧というわけです。

どうか、たくさんの後輩がいて、たいへんであると思いますが、
よく面倒をみてあげてください。重荷と思い込まないで、
これだけの人々を、凡愚な自分の信心指導によって、
成仏させていくことができるのかと、歓喜に燃えて、
勇んで事にぶつかっていただきたいと思う。

大臣の命も、知事の命も、一般庶民の命もすべて同等である。
この尊厳極まりなき生命を救いきっていく尊き学会活動の意義を、
決して忘れないで大いに戦いたいものです。

折伏や指導が、苦しく、重荷になったと思ったら、
自分自身の信心が負けていると目覚めて、
題目をさらにさらにあげていくことだ。
結局は、どこまでいっても、自分のための信心なのです。

学会再建の当時、私も地区幹事をやりました。
いまの地区部長の前称です。

やはり、なかなか、思うように、折伏も指導もできなかった。
皆さん方の苦労もよくわかります。
だが、次に部隊長となり、支部長代理となり、
参謀室長となり、総務となり、会長となって、
自分のなすべき責任のコースだけは、必ずまっとうしていくことに、
全魂を打ち込んできました。

また、戸田前会長が事業難で苦しんでおられたころ、
私も非常に苦しかった。
“よし百万遍のお題目をあげよう”と決めたのです。
ところが六十万遍までいったとき、すべてが解決しました。
そして、あと四十万遍をやめてしまった。
しかし、ある時期がきて、どうしても、残った四十万遍を、
唱えざるを得ない状態になりました。

また先日、講義をすることに決まっていたとき、
少々疲れているし、用もあったので、
質問会だけで簡単に終わらせていただきました。
ところが、そのあと、どうしても、下の部屋に残っていた人々に、
遅くまで講義をしなくてはならないことになってしまった。

早く、まじめに、やるべき自分の使命を
達成しておけばよかったと反省したのです。

信心があればあるほど、因果の理法の、
厳しさがわかるものであり、感ずるものです。

狂言指導や狂言質問や狂言信心などで、
御本尊をだますことは絶対にできない。
自らの一念をごまかすこともできないものだ。

信心のことだけは、要領や無責任でいったら、
自分自身の大損となってしまう。

因果の理法たる信心は、人が見ているから、
見てないからという問題とは別次元のものだ。
一般社会の人は、そんなことはかまわない。否、知らない。
ですから、すべて要領と無責任で逃げていく。
主体性もなく時流に流されきってしまうのです。

それでは、所詮、福運を消しこそすれ、
積んでいくことは、絶対にできない。
長い眼で見れば、その勝敗は、人生のうえに明確にわかるものです。