投稿者:寝たきりオジサン 投稿日:2017年 1月27日(金)19時15分7秒   通報
【第6回】パグウォッシュ会議名誉会長ロートブラット博士2006.7.

弾む生命力が社会を活性化──リーダーは生き生きと!若々しく!

ロートブラット博士と11年ぶりに再会したのは、2000年2月10日のこと
だった。開幕して間もない新しき千年。世界は待望していた。「戦争と暴力の世
紀」から「平和と希望の世紀」への転換を。そのキーワードとして、「文明の対
話」という言葉が注目され始めたのも、このころである。国連も、2001年を
「文明間の対話年」と位置づけていた。私も一貫して「文明の対話」に挑んでき
た。それは、歴史家・トインビー博士から託された遺業でもあった。

「対話こそ、永遠の平和への道です。私はもう高齢であるし、無理でしょう。ど
うか、あなたは、世界の知性と対話を続けてください」戸田先生の生誕100周
年に当たるこの年、私は誓った。さあ、平和への新たなる挑戦だ。一歩も引くま
い。今までに倍する闘争で、歴史をつくろう!戸田先生の愛弟子(まなでし)が
、どこまでできるか、証明するのだ!──と。博士との再会は、こうした私の闘
魂を、さらに燃え上がらせる契機となった。

◆リーダーシップを

ロートブラット博士は、核兵器なき世界の創出へ戦い続けた“平和の獅子”であ
る。戦後、バートランド・ラッセル卿とともに、核兵器廃絶を訴える「ラッセル
・アインシュタイン宣言」の起草に尽力される。1957年には、博士が中心と
なって、同宣言の精神を受け継いだ科学者の連帯「パグウォッシュ会議」が発足
した。東西冷戦の緊張が世界を覆っていた時代。いつ核戦争が勃発するとも限ら
ない。そうしたなか、博士は厳然と平和の闘争を開始されたのである。

同じ年の9月8日。戸田先生も核兵器の脅威に真っ向から“獅子吼”した。「わ
れわれ世界の民衆は、生存の権利をもっております。その権利をおびやかすもの
は、これ魔ものであり、サタンであり、怪物であります」──有名な「原水爆禁
止宣言」である。逝去の7カ月前。だが、「世界平和の一凶を断ぜよ」との気迫
は、衰えを知らない。まさに火を吐く如き遺訓であった。ほぼ同時代を生き、志
を同じくした二人の“獅子”。再会の席で、博士は、恩師の遺志を継ぐ私に過分
な期待を寄せてくださった。

「池田会長に、人類が閉塞状況を抜け出すためのリーダーシップをとっていただ
きたい。今、それができるのは、会長しかいないのです」私にはその声が、かつ
ての師の遺言に聞こえた。「大作、あとはお前だ、頼むぞ!」奇(く)しくも、
博士との会見は、師の誕生日の前日であった。

◆秘訣は「楽観主義」

再会の場所は、愛する沖縄の研修道場だった。かつてのミサイル基地も、わが同
志の真心により“平和の発信地”として美しく整備されていた。「命(ぬち)ど
ぅ宝(命こそ宝)」──古くから沖縄には「生命尊厳の心」が薫る。語らいには、
その誇りに燃える沖縄の友も同席した。ロートブラット博士と挨拶を交わした瞬
間、私は驚いた。以前からエネルギッシュだった博士が、さらに若返ったような
気がしたからだ。ピンと伸びた背筋。張りのある声。青き瞳は、青年のような輝
きを放っていた。とても91歳とは思えない。

なぜ、これほど若々しいのか──。博士と語り合ううちに、その秘密が分かった
ような気がした。第1に、「大目的に生きている」からだ。「ラッセル・アイン
シュタイン宣言」の署名者の中で、生存しているのは、もはや博士だけだった。
「だからこそ、自分が核兵器の脅威を訴えなければならない」。この断固たる使
命感が、博士の全身の細胞を生き生きと活性化していたのだろう。第2には、逞
しき「楽観主義」だ。博士の最愛の奥様は、ホロコースト(大量虐殺)の犠牲と
なった。不慮の事態で、救出はかなわなかった……。

無念の心情を語る博士の瞳に、涙が光っていたことが忘れられない。博士は最も
深い悲哀を、最も深い平和への決意に変え、亡き奥様と一体になって人類のため
に走り続けてこられた。「人類の未来については、楽観的でなくてはならないと、
私は思っています。その反対は何でしょう。互いに悲観主義に陥ってしまえば、
破壊し合うことしかありません」。これが博士の透徹(とうてつ)した信念で
あった。しかも、博士の言う「楽観主義」とは、安閑として待つことではない。
徹底した行動を伴う。原爆が投下された後、博士はイギリス中の大学を回り、人
類の危機をアピールされた。

パグウォッシュ会議発足後、核廃絶を訴え、訪れた国は100カ国に上る。この
日の会見にも、厳寒のロンドンから関西空港で乗り継ぎ、はるばる沖縄へと駆け
付けてくださった。まさに「行動」こそ、博士の若さの第3の秘訣だった。語ら
いを終え、長旅の疲れを気遣うと、博士は「私は『疲れる』ことを自分に許さな
いんです」と。確かに疲れた様子は全く見せない。打てば響く快活な反応。頬は
紅潮し、生命力に満ちている。はつらつとした博士の姿に、私は「勝利のリーダ
ー」の要件を見た。

個人であれ、団体であれ、快活なところ、勢いのあるところが勝つ。これは鉄則
である。今、社会は生気に乏しい。無関心。無感動。無責任。何事にも興味がも
てず、すべてが他人事に思える。どこか疲れた空気が充満している。かつて戸田
先生は、社会の空虚感の根因(こんいん)は「人」にある。「生き生きとして、
はちきれるような生命力のないところからくる」と鋭く喝破した。会うと、楽し
くなる。元気になる。勇気がわいてくる。社会の閉塞感を打ち破るには、そうし
た満々たる生命力をもった人間が必要なのだ。

◆思い切って前へ!

まさに、それは博士の人格に凝縮されていた。博士もまた、仏法を持つ私たちに
、「触れ合うすべての人々を心から楽しくさせてくれる、人格の温かさを感ずる
」と讃えてくださった。仏法を実践する者は「年は・わか(若)うなり福はかさ
なり」(御書1135ページ)と説かれている。生き生きと!若々しく!これが
仏法者の証(あかし)なのだ。しかめっ面は、傲慢の表れ。不機嫌は、怠け者の
証拠である。深刻な表情は、臆病者の印だ。くよくよする暇があったら、思い切
って前へ進め!晴れ晴れと動いてみることだ。「賢者はよろこび愚者は退く」
(同1091ページ)である。

猛然と動いて、決然と語って、敢然と戦う。生命の息吹で、悩みなど全部、吹き
飛ばしていくのだ。仏法の真髄は「歓喜の中の大歓喜」(同788ページ)であ
る。リーダーの生命に弾むような勢いがあれば、必ず社会は躍動する。閉塞した
時代に、爽快な風を通すことができるのだ。

◆すべて青年に託す

ロートブラット博士が、開学間もないアメリカ創価大学で講演してくださったの
は、再会した翌年の10月のことである。あの「9・11」のテロ事件で訪米を
見合わせる人が多いなか、わざわざロンドンから足を運んでくださった。しかも、
機中で喉を痛められ、体調は不良だったという。しかし、大学関係者からの講演
中止の申し出も、きっぱり断られた。なぜか──。「核兵器の廃絶という目標は、
やがて実現できるでしょう。しかし、戦争のない時代を築くのは、はるかに遠い
目標です。これは、若い世代に託す以外ありません」7月3日に発刊となる、私
との対談集『地球平和への探究』(潮出版社)にも、博士は昨年、天寿を全うさ
れる直前まで心血を注いでくださった。

「世界の青年に読んでもらいたい」と。私も全く同じ思いである。広宣流布は、
人類の万年の幸福を開く大偉業である。未来へと続く平和の大長征(だいちょう
せい)は、永遠に青年に託す以外にない。最後の語らいで博士から託された言葉
を、私は共に戦う創価の青年に託したい。「若き諸君よ、今こそ、平和と正義の
リーダーシップを頼む」

(注)ジョセフ・ロートブラット(1908年~2005年)物理学者。パグウ
ォッシュ会議名誉会長。ロンドン大学名誉教授。ポーランドのワルシャワ生まれ。
ワルシャワの放射線学研究所研究員となり、英国で核物理学を研究。米国政府か
ら原爆開発の「マンハッタン計画」に招かれて渡米するが、ナチス・ドイツが原
爆を製造しないことがわかると、同計画から離脱。広島、長崎への原爆投下に衝
撃を受け、その後の人生を核廃絶運動に捧げた。

1955年、核兵器と戦争の廃絶を訴える「ラッセル・アインシュタイン宣言」
の発表に尽力。57年、平和と軍縮を目指す国際会議「科学と世界問題に関する
パグウォッシュ会議」を共同創設し、初代事務局長や会長を歴任した。95年、
同会議とともにノーベル平和賞を受賞。池田名誉会長とは、大阪で1989年1
0月、沖縄で2000年2月に会見している。このほど、2人の対談集『地球平
和への探究』(潮出版社)が発刊された。