投稿者:ロマン 投稿日:2017年 1月22日(日)18時30分36秒   通報 編集済
グリグリさん、リンクの掲載ありがとうございます。
【宗門問題の真相】
http://www.ac.auone-net.jp/~davinci1/essay1-1.html

古くからあるサイトではありますが、宿坊の掲示板に掲載されたものと符合することが出てきます。
何よりも、当時の秋谷副会長により、池田先生の音源を葬り去るような指示があり、ご自身は池田先生からの指針を胸に、職員を解雇されるかもしれないという中で、アーカイブされたことが記載されておりました。感謝の想いです。
こうした人々が時を待ち、いつの日か明らかにされることを願ってやみません。

以前、谷川事務総長も、池田先生の指導映像で、不都合なものを抜粋して消去しようとしたことがここ宿坊の掲示板に掲載されていましたが、秋谷副会長(当時)と同じ手法によっていることに驚きを禁じ得ません。
はて、谷川事務総長の師匠は誰なのでしょうか?

さて、下記の内容を宿坊の皆様と議論できれば、より一層54年の会長辞任に至る過程がより鮮明になると思います。

1.石田次男(秋谷元会長と親戚関係、現在は断絶?)とはー三代会長を巡る石田次男を担ぎ上げた一派と池田先生の会長就任の舞台裏。
2.戸田門下生と池田門下生。ー会長辞任に追いやった戸田門下生とそれに連なった池田門下。
3.世界宗教としての広宣流布の在り方ー池田先生が未来を見据えた世界広宣流布の展望。

1.について
石田次男氏が首謀者であるという記載内容。
石田次男氏は1992年に死去されておりますが、池田先生が明確に54年を総括され始めたのは、野崎勲氏が死去されてからの2004年以降と聞いています。実質会長辞任を促した執行部の面々を厳しく断罪。その中に、石田次男氏の名前はあったのかなかったのかーといえば確かはいってませんでしたよね。
第一次宗門問題を境に反逆の意思を明確にした石田次男氏は、龍年光と同じく、小説人間革命で厳しく描かれています。

2.3について、普賢庵さんの文章を引用。
「池田先生は池田の命より大事な創価学会の組織とは言ってない。むしろ先生は、世界広布に創価学会はいらないという。ニューヨークに本部を設置しユダヤ協会のような組織でなければ世界広布はできないとまで言われた。
池田門下生は、創価学会が無くなっても池田先生とその精神があれば、世界広布は必ず出来ると信じている。この違いは、池田会長勇退のときに顕著に現れた。」

戸田門下生は池田先生ではなく、創価学会という組織の維持を継続しようとした。
創価学会を世界へと飛躍させたのは池田先生のリーダーシップによることは明確であります。
創価学会という組織がいかなる戦いによって拡大されたのか。
会長辞任後の池田先生の行動を学びますと、池田先生を師匠とした同心円の関係性の中で信心を深め、日夜折伏に走った同志の戦いによるところが大きいと分かります。

上述の中で、ユダヤ協会という言葉があり、調べてみると、これは「世界ユダヤ人会議」が出てきます。
http://www.worldjewishcongress.org/ja/about

『一国一団体が原則であり、世界中のすべてのユダヤ人団体が加入しているわけではない。』とされています。

普賢庵氏の随想に記載された池田先生の構想は、SGIの発足として結実したものと私は捉えておりますが、今思うと教学レポートでSGI組織を会長傘下にすることが書かれております。
各国の独立性を考えますと、そのことは時代の逆行であると捉えることができます。いわゆる日本創価学会の宗門化ではないかと危惧致します。

【追記】
某会合にて長谷川理事長が54年当時を回顧される。54年当時は先生にお供していた。
首謀者は学会顧問弁護士の山崎正友、それに連なった元教学部長の原島嵩という構図。
4.24の新宿文化での会合で、会長辞任の発表。そのあと、長谷川さんは池田先生に同行。
別の会場に向かうために、エレベーターに乗られ、その中で先生は言われた。
「ドラマは終わってしまった。しかし、ここから新しいドラマが始まるよ!」と。
5.3の創大講堂での本部幹部会終了後のお話。
池田先生を先生と呼ばせない空気の中で、一婦人が創大の渡り廊下で叫ばれた。
「先生ー!」
この時から、池田先生の反転攻勢の戦いが開始されたんだ。

15分ぐらいの短いお話でしたが、辞任という言葉は一切使われず、勇退を連呼されていましたね。ただ、私は誰かに言わされているような感覚にもなりましたけどね。
ただ、もっと根の深い話を聞きたかったなぁ。
という感想でした。