投稿者:寝たきりオジサン 投稿日:2017年 1月20日(金)17時51分1秒   通報

(宮城県・コンビニオーナー47=支部長兼任副本部長=K・Y彦さん)

聖教新聞2008年5月28日

K・Y彦さんは大手コンビニ店のオーナー。仙台市の中心部に位置し、平日のお
昼時ともなると、近隣のオフイス街からサラリーマン、OLがやってくる。1日で
一番、にぎわう時間帯だ。Kさんの店は、販売実績優良店として全国約6000店舗
の中から、ここ3年間で本部から「優秀賞」2回、「敢闘賞」を1回、受賞している。

●入会~創価班

K・Y彦さんが創価学会の座談会に初めて参加したのは、1985年(昭和60年)の2月
。当時、24歳。専門学校を卒業して、不動産関係の会社に就職し、一人暮らしを
始めたころだった。聖教新聞の購読を勧めてくれた叔母の案内で参加した。

宗教に対する抵抗感はぬぐえなかったが、生き生きと信仰体験を語る参加者の表
情、確信に触れて、“この宗教は違う。生活の中に生きている”と実感。自ら入
会を決意した。

K・Y彦さんは、仕事が終わると、男子部の先輩と学会活動に走った。間もなく
人材グループ創価班のメンバーになった。1987年と1990年の2回、狩野さんは会館
で創価班の任務に就いていた際、仙台を訪問中の池田名誉会長が全魂を傾け、同
志に励ましを送る光景を目の当たりにした。

「“一人”を大切にされる先生の慈愛の深さに感動し、生涯、何があっても師と
共に生き抜こうと固く誓いました」

●1億円の負債

1991年、妻のK子さん(41)=地区婦人部長=と結婚。幸せに包まれた新生活が始
まる。が、翌年、バブル崩壊で勤務していた会社が苦境に陥り、個人的にも約1億
円の負債を背負う憂き目になった。

早朝から深夜まで、返済資金の工面に追われ、いつしか学会活動から足が遠のく
。自宅に取り立ての電話が鳴り響く。貯金も底を突く。生活は苦しくなる。妻の
心配をよそに、K・Y彦さんは“大丈夫!”との一点張り。

“そばにいても主人は変わらない”と感じたK子さんは、生まれたばかりのM里
さん(高1・15)を抱いて実家へ。わが家の宿命転換を真剣に祈った。

悲嘆に暮れるK・Y彦さんを、学会の先輩は何度も来て、励ましてくれた。「語
り合う中で、先生との誓いを思い出し、自分の傲慢さに気付いたんです。それが
どんなに妻を苦しめていたか、心から反省しました」

昼間は債権者の対応や売れ残った土地の整理に走った。夜は生活のためにコンビ
ニ店でアルバイト。帰宅後は寝る間も惜しんで唱題を重ねた。

「ピンチこそ最大のチャンス。今こそ、宿命転換の時だよ」。先輩の励ましを支
えに、祈り続けた。

すると、事態は予期せぬ展開になった。「たまたま負債額と、ほぼ同額の土地契
約が決まってね。驚きました。おかげで半年後には借金は完済できたんです」

●コンビニ・アルバイトからコンビニ店主へ

これを期に、不動産の仕事から離れる決心をする。間もなく、アルバイト先のオ
ーナーから、5年の期限付きで系列店を任せたいとの話が舞い込んだ。誠実な働き
ぶりが認められたのだろう。

もちろんKさんは引き受けた。任された店舗で懸命に働いた。信心根本に苦難に
立ち向かうようになると、妻が戻ってきた。「苦労ばかり掛けるけれど、これか
らも、よろしく」と、夫は妻に頭を下げた。

コンビニ店の経営は順調に運び、契約の5年がたった時だった。本部から、仙台市
内に自分の店舗を構えないかと連絡が来た。Kさんは願ってもない話と喜んで承
諾する。

売り上げや仕入れの管理、アルバイトのやりくりなど、責任を一手に背負うこと
になる。悪戦苦闘するが、1年たったころから徐々に売り上げが安定した。

●急性大動脈解離――驚くほどの回復、後遺症なし

仕事が軌道に乗り始めた2003年(平成15年)1月のある日、自宅で休んでいる時だっ
た。突然、左肩に激痛が走った。次第に痛みも激しくなり、呼吸もままならない
。意識がもうろうとする中、救急車で病院へ搬送された。医師が妻のK子さんに
告げた診断結果は「急性大動脈解離」。

三層からなる大動脈の内膜がはがれ、そのすき間に血液がたまる。内臓疾患を併
発し、死に至る場合さえある病であった。

「お題目を送っているから。大丈夫。負けないで!」急を聞いた同志が、次々と
駆けつけた。

“皆さん、忙しいはずなのに……”。K子さんは、共に悩み、励ましてくれる同
志の真心に目頭が熱くなった。精密検査の結果、投薬治療だけで済むという。ホ
ッと胸をなで下ろしたK子さん。“御本尊に守られた!”と心底、思った。狩野
さんは、医師も驚くほどの回復ぶりで、3週間後、無事、退院。1カ月後には、ま
ひなど、危倶された後遺症もなく、職場復帰を果たすことができた。

「本部の応援、友人の助けもあって、店舗は損失を出すことなく、乗り切ること
ができました。妻の祈りには心から感謝しています」

●立地環境の悪化――福運を積むしかない!

2004年、斜め向かいに大手スーパーが出店、地元スーパーが24時間営業を始めた
。環境の激変に、一時、売り上げが伸び悩んだ。

“福運だ、福運を積むしかない!”揺るぎない確信に燃え、Kさん夫妻は真剣に
唱題に励み、学会活動に歩いた。弘教も実らせた。

すると、本部の店舗運営部から連絡が入る。より良い立地条件での移転話だった
。権利の委譲や洒、たばこの販売免許取得などの課題はあったが、すべて乗り越
え、2005年4月、現在の仙台市内の中心部に移ることができた。

毎月の売り上げが、一気に倍増した。地の利にあらためて驚くとともに、一層、
客の目線に立ち、品ぞろえやディスプレー(陳列)に工夫を凝らした。これが評判
となり、地元テレビの情報番組で紹介された。

全国的6000店舗の中から商品ごとに売り上げ優良店が表彰されるが、Kさんの店
は2005年に「敢闘賞」(パン部門)。2007年は調理めん部門、2008年は弁当部門で
、連続「優秀賞」に輝いた。
「苦難に直面したとき、いつも心の中にあったのは、人生の師匠でした。師弟の
道を貫いて来られたのも、妻や同志の皆さんのおかげです。報恩感謝を忘れず、
さらなる実証を目指します」