2014年9月29日 投稿者:河内平野 投稿日:2014年 9月29日(月)10時18分54秒 返信・引用 「宗教の悪魔化」を防ぐ方法は二つあると、ティリッヒ博士は言う。 一つは、宗教を否定すること、いわゆる「世俗化」である。 これは宗教がからんだ争いにこりごりした人々が、近代になって急速に進めた方向性である。 しかし、これでは「精神性」そのものがなくなってしまい、人間が機械化される危険がある。 もう一つは、途中の媒介なく、「究極的なるもの」と信者自身が直接出会えるようにする道である、と。 日蓮大聖人の仏法は、「万人」が「その場」で、最高の信仰実践をし、成仏しゆく大法である。 また、一人一人を最高に賢明にし、尊厳にし、幸福にする宗教である。 そこには本来「権威主義」の入り込む余地はない。 人間を抑圧する「宗教の悪魔化」とも、無縁なのである。 もしも、大聖人の門下にして、そういう悪の姿が出たとしたら、それは絶対に正しき門下ではないと断言しておきたい。 ともあれ、仏法では「魔」は「魔」と見破れば、信心によって打ち破られるとしている。 「御書」と「経文」に照らし、「理性」と「道理」に照らし、そして「信心の眼」に照らして、問題の本質を過たず、聡明に見ぬいていただきたい。 【アメリカSGI第一回総会 平成三年九月二十九日(大作全集七十八巻)】 Tweet