2014年9月29日 投稿者:河内平野 投稿日:2014年 9月29日(月)10時16分29秒 返信・引用 少々、むずかしいかもしれないが、大切な、一つの本質論として、一般的に宗教がどのようにして変質し、権力化していくかにふれておきたい。 本来、宗教は幸福のためにある。 しかし、その正邪は別にしても、あまりにもしばしば、宗教は積極的に不幸をつくりだしてきた。 ある時は、「愛の教え」が「憎悪の行動」に、ある時は、「慈悲の信条」が「《残酷の正当化》の理論」に逆転し、民衆を苦しめてきた。 それでは、なぜ、こうした「宗教の悪魔化」が起こるのだろうか? ハーバード大学の有名な哲学者であったパウル・ティリッヒ博士(一八八六年―一九六五年)は述べている。 「聖なるものを運搬する有限なるもの、あるいは聖なるものの体現を、究極的なもの自体の尊厳にまで、つまり神的なものにまで高めることを、われわれは悪魔化と呼ぶのであるが、もしあるものを究極性にまで高めることが行われる、そのあるものは他の有限なるものすべてを、自己の統制下に服従させようとし、もしその統制が可能でないときは、すべてのものを破壊しようとする」 「究極的なもの」とは、仏法でいえば「本尊」にあたろう。 有限な存在でありながら、たとえば自分を「本尊」の尊厳にまで高め、《一体不二》などと主張する者がいたとしたら、そこに「宗教の悪魔化」が始まるというのである。 そうなると、他の存在すべて見くだし、自分の「統制下」に服従させようとする。 まさに「権力化された権威」である。そして、自分に奴隷のごとく「服従」しないものがいると、それを「破壊」しようとする、と――。 広布の和合僧を壊そうとの狂気のごとき行動の本質を、このことから、よく知っていただきたい。 「聖なるものを運搬」とか「聖なるものの体現」とあるように、法王(教皇)の絶対化など、とくに「教会」「聖職者」の悪魔化の危険を、博士は主張しているのである。 博士は続けている。 「それ故に、悪魔的に歪められた組織は、すべての他の組織、すべての対立する文化を攻撃し、また悪魔的に歪められた個人は狂言的となるのである」 ティリッヒ博士はドイツ生まれ、ナチスの支配に抵抗し、ドレスデン大学から追放されている。 ヒトラーという「有限な人間」、また当時のドイツ(第三帝国)という「有限な国家」を、神聖化し、絶対化することによって、ナチスは、文字どおり悪魔と化した。 アウシュヴィッツ強制収容所はその象徴である。 ナチズムは「国家崇拝」「個人崇拝」を伴った一種の宗教といえよう。 宗教の悪魔化を論じる博士の胸中には、往時の祖国の悲劇が去来していたかもしれない。 私どもは断じて、このような不幸を繰り返してはならない。 【アメリカSGI第一回総会 平成三年九月二十九日(大作全集七十八巻)】 Tweet