投稿者:寝たきりオジサン 投稿日:2017年 1月 3日(火)14時13分21秒   通報
【第2回】ワンガリー・マータイ博士(ケニアの環境副大臣)
2006-4-23

「もったいない」は「生命を尊ぶ心」
21世紀は母の賢き知恵に学べ

「もったいない」──この日本語を駆使して、今、マータイ博士は各国で
環境保護を訴えている。なぜ、博士が「もったいない」という日本語に
魅せられたのか。昨年の2月、その飾らない笑顔に接した時、私は、瞬時
に理解した。

彼女が「母」であるからだ。アフリカの「お母さんの代表」であるからだ。
博士が“生みの親”である「グリーンベルト運動」は、草の根の植林運動
として知られる。博士とともに、約30年で3000万本の木を植えたのは
、貧しい農村の女性たちであった。

早朝から幼子を背負い、薪と水を求めて、長い長い道のりを歩むアフリカの
母たち──その生活支援と環境保護を目指した運動は、まさしく“母の、母
による、母のための運動”といってよい。

その先頭に立ち続ける博士が、日本の母の“知恵の代名詞”ともいうべき
「もったいない」に共感するのは、当然とさえ思えた。

◆母の心は人間の心

「もったいない」とは、私のような戦争を経験した世代にとって、「母」を
思い出す言葉でもある。

大根の菜っ葉がお新香に、ウドの皮がきんぴらに、小魚がおやつ代わりに
──母の手に掛かれば、残った食材も、育ち盛りの子の胃袋を満たす「おふ
くろの味」へと生まれ変わった。膝小僧にあてがわれた「つぎはぎ」は、腕
白少年の勲章になった。そこには愛情の栄養学があった。知恵の家政学があっ
た。どんなものも無駄にしないという「慈(いつく)しみの心」は、当時の
日本が持つ一つの「美徳」であった。どれほど、命を「尊ぶ心」、他者を
「思いやる心」の涵養(かんよう)につながったことであろうか。

こうした「母の心」の喪失が、現代の「人間性」の喪失に通じていると憂え
るのは、私一人ではあるまい。物のない時代を経験した私の妻も、一家の主婦
として、何より、物を粗末にしないことを考えてきた。米粒一粒も無駄にせず、
余った総菜も一工夫して次の献立に役立てた。包装紙や紐などを再利用する
のも、当たり前のことだったようである。

ある時、私を慰労しようと、子どもたちが8ミリ映写会を開いてくれた。映写
幕代わりに敷布を吊った紐の端に、小さなリボンが結んであった。何かの包装
紙を再利用して、妻が作ってくれたものだった。「もったいないから」と──。
何気ない知恵かもしれない。ささやかな工夫かもしれない。だが、世の母たちは
、こうした知恵や愛情を“武器”として、賢明に生活を支え、懸命に家族を守っ
てきたのだ。

◆傲慢とは鋭く戦え

戸田城聖先生は、母上が丹精込めて縫い上げた“アツシの半纏(はんてん)
”を終生、手放すことがなかった。19歳で、北海道の寒村から上京する際、
「どんな苦しいことがあっても、これを着て働けば、何でもできるよ」と送り出
してくれた母上。その深き愛情を片時も忘れることはなかった。わが師は、人生
の逆境にある時ほど、この母の愛に、恩に報いんと、ご自身を鼓舞された。

「このアツシがあれば大丈夫だ」と。マータイ博士の運動も、生活を守り、わが
子と祖国ケニアの行く末を案じた母の慈愛から生まれたものである。博士は、
植林運動に携(たずさ)わった、無名の尊き女性たちを「学位なき森林官」と
讃える。その団結と地道な行動が、アフリカの砂漠化を防ぐのみならず、世界の
人々の意識を、どれほど環境保護へと誘ったことか。

彼女たちの貢献度は、一国の総理大臣より、はるかに大きいと言わねばならない。
為政者は、この一点を、よくよく注視すべきだ。庶民の知恵や心や行動を、もっ
と尊ぶべきである。だが、政治家や官僚、学者など国家の舵取り役にあるエリート
は、ともすれば、こうした民衆運動を見下す傾向にある。現にケニアの独裁的な
旧政権は、博士らの運動を“民衆を組織する危険な存在”として、幾度も弾圧した。

本年2月、私の創立した創価大学を訪れてくださった博士は、講演で言われた。
「政治家を放置したら、勝手に民衆を利用するだけである。民衆は政治に関与し
なければならない」と。その通りである。戸田先生は「青年よ、心して政治を監視
せよ」と厳命された。私も庶民を下に見る傲慢や邪悪とは鋭く戦ってきた。

徹底して挑戦してきた。この精神で一生涯、戦い抜く決心である。また恩師は、
よく「嫉妬という字に“男偏”があってもいいんだ」と呵々(かか)としておら
れた。能力のある女性に嫉妬したり、立場などを笠に着て威張るような男性がい
たならば、どこの世界であれ、最低の人間である。庶民の代表である母の知恵や、
女性の英知に学ぶことが、21世紀の民主主義の根本であると私は思う。

私の平和行動の原点は、わが母にある。母は、息子4人を次々と戦争にとられて
も、気丈に振る舞っていた。だが終戦後、長兄の戦死を知らせる公報を受け取った
時、がっくりと肩を落とした。その姿は生涯、忘れられない。庶民の実直な母の
悲しみ。それは、幾百千万の母の悲しみであった。地球上の母たちを忍従させ、
飢餓に陥(おとしい)れ、悲嘆に暮れさせる戦争など、どんな理由があろうとも、
絶対に許してはならない。

悪魔の所業である。結局、幸福な社会とは、こうした母の苦しみをなくした社会と
言えるのではないだろうか。

◆育て!青年は希望

戦時中、私の故郷・大田でも、空襲によって多くの木々が灰となった。辛うじて
生き残った木々は、戦争を遂行するための燃料として伐採された。わが家の庭の
大きな桜の木も無残に切り取られ、その跡は、軍需工場に変わった。荒涼たる
風景ではあったが、不思議とその一角に、幾本かの桜が焼け残っていた。そして
戦後、再び桜は芽吹き、まるで行き交う人々を励ますかのように万朶(ばんだ)
と咲き薫った。その光景を目にした時の、母の安堵した表青──。

私は決心した。将来、日本中に、桜の木を植えよう。いな、世界中に、色とり
どりに咲き誇る多彩な木々を植樹して、人々の心に平和の希望を広げていこう、
と。この若き日に抱いた夢のまま、私は、世界各国の良き地に、記念の植樹を行
ってきた。その国の発展を願い、かの地で活躍する友のますますの健勝を祈って!
「木を植える」──。それは「生命を植える」ことである。「未来を育てる」こと
であり、「平和を育てる」ことである──会見で、マータイ博士と私は大いに共感
し合った。かつて、“アフリカの人権の父”であるマンデラ氏を歓迎した時と同じ
ように、私は多くの青年たちとともに、“アフリカの環境の母”である博士を歓迎
した。それは、こうした思想と行動を、未来へ世界へ、継承してほしかったからだ。

無名の母たちの祈りの声を、若き生命に刻み込んでもらいたかったからである。
マータイ博士は語っている。どんなに希望がないように見えても、希望の光は
ある」この強さ。この楽観主義。博士の言う希望とは「青年」のことであろう。
私もまた、胸を張って叫びたい。「創価の青年」ある限り、必ずや「人類の未来」
は明るい、と──。