投稿者:寝たきりオジサン 投稿日:2016年12月24日(土)07時00分23秒   通報 編集済
◇第2回この道は勝利の道

愛知2010-1-22

「今日も元気で」の弾むような歌声が今、日本のあの町この街に響いている。
年頭を飾る婦人部の集いが、地域での開催となって35年。愛知の誇りは、こ
の総会に、全国で初めて、”池田先生をお迎えしたい”ことである。「よし、
南区に行こう!」ーそれは、関西から名古屋文化会館に着いたばかりの午後だ

った。「遠くてもいいんだ。南区に行くよ!」この日、昭和51(1976年
)1月16日には、名古屋の300会場で婦人部総会が開かれる。幾つかの候
補から名誉会長が選んだのは、最も遠い名古屋南会館(現・名古屋南平和会館
)。車で50分ほどかかる。そこにも、理不尽な圧迫に耐え、歯を食いしばっ

てきた健気な同志がいた。昭和45年前後に破き荒れた〃言論問題〃以来、激
戦また激戦を越えてきた友を、何としても励ましたかった。車で着いた名誉会
長は、会館へ急ぐ婦人たちを見つけて、手招きした。その一人、尾関節子さん
は、夫婦で営む町工場から、夕食の暇もなく駆け付けていた。「婦人部の力で

すね。ご苦労さまです」躯け寄った尾関さんの手を、名誉会長の手が包む。温
かく、柔らかかった。細尾ミツエさんは、近隣の同志を誘っていて、来るのが
遅れてしまった。背中に乳飲み子。おなかにも、もう一人の子がいる。にっこ
りと、赤ちゃんの頭を撫でた名誉会長。「みんなで写真を撮ろう」そして、同

行の幹部には、こう諭すのだった。「こういう人たちを、大事にしなければい
けないよ」総会で、名誉会長は、財界人から、こんな質問をされたと、紹介し
てくれた。「世界で一番偉いのは誰ですか」財界人は、釈尊などの名を挙げる
と思ったらしい。「私は答えました。『一番尊くて偉いのは、一般市民のお母
さんです!』と。お母さんこそ、雨の日も風の日も、太陽のように変わること

なく、わが友とわが家族を、慈愛を込めて守ってくれています!」感激、感涙
、そして感謝ー「皆さんの喜びは、例えようもないほどでした」と、ある友は
振り返る。頑張った人、苦しんできた人は、励まさずにはおかない。一方、創
価の城を継ぐ青年には、厳父の如く。これが名誉会長の指導哲学である。昭和

48年(1973年)1月の愛知訪問もそうだった。13日、豊田市体育館。
県内から集った5000人との記念撮影が行われた。撮影台の前段には、藤岡
村と小原村(ともに現・豊田市)の友らが配された。前年の集中豪雨で、大き
な被害にあった地域である。「いつも朗らかに、勇気に満ちた信仰を続けてく
ださい!」「大聖人の仏法を持つ人は、必ず変毒為薬できるのです!」一方、

若い青年には「烈風を受けながら、信念を貫き、もがき苦しみ、かじりついて
成長した人が本物です」と鋭い声だった。翌14日、名古屋文化会館での、「
中部末来会」2期生を中心とした懇談会。居合わせた二人の年配の婦人を労い
つつ、未来部、友には「烏合の衆では仕方ない。一匹の獅子をつくらなくては

いけない」と、大人の信仰者として接した。愛知の友が〃われらの先生“と歩
んだ道ー。「この道」は正義の道。「この道」は絶対勝利の道!90回を超え
る激励行が点した覚悟と確信は、いや増して友の命に燃え続ける。