2016年12月18日 投稿者:寝たきりオジサン 投稿日:2016年12月18日(日)14時02分24秒 通報 これは、私のはまり役よ。私のために、書いてもらったような役だわ。絶対、 役をもらうわ。オーディションで、そのことを証明しなくちゃ。この役ができ るなんて、なんてラッキーなのかしら。契約書にサインするわ。そして、映画 は、私の才能と熱演で大成功。今年は、私の当たり年。今日は大吉よ。私はま だ大物じゃないけど、絶対に気に入ってもらえるはずよ」もう一人の女優は、 こう考えます。「寝坊しちゃったわ。みんな、どうしているかしら。持ち時間 は、始まっている、怖いわ。もう少し、寝ていたい。どうせ、役は来ないわ。 オーディションには、デキル女優がたくさん来るわ。私には、メジャーになれ る才能なんてない。落ちるだけよ。1年以上も、役が来てない。今度も、役が 来るわけないじゃない。1年以上、仕事をしていない。調子が悪いのよ。来年 はこんなじゃないわ。今年は、厄年。今日は、大凶よ」どちらが、役につけた と思いますか?芸術家である私たちは、失敗に対する恐怖――場合によっては 、成功への恐怖――を乗り越えなければなりません。勇気を奮い起こすことで す。そして、仏法には失敗などというものはないということを忘れないことで す。あるのは、転機だけです。南無妙法蓮華経の利剣で、私たちは巨大な恐怖 、最も悲観的な思いと戦い、人生を、希望と楽観主義で満たすことができます 。イケダ会長は、仰っています。「言い換えれば、言い訳をしないことです。 自分の人生に責任を持つ――勝利していくことです。敗北を良しとすることは 、どんな言い訳をしても、だめです。どんな雄弁をもって正当化しようとして も、負けは負けです。大事なことは、あなたが今いるその場で、勝つことです 。それが、不敗の勝利へとなって行くのです。どんな困難に直面しようとも、 状況を転換し、その場に正義の勝利を打ち立てられることは間違いありません 。それが、法華経の兵法です」(1997/8/18WorldTribuneP.9-11)※和文英訳 を和訳 私の体験をお話したのは、”自己不信”の傾向性を持っていることに気付 いていただきたいからです。気が付けば、治すこともできます。私の体験は、 治療法そのものです。完治するまでは、血を流すような思いもするかもしれま せん。でも、効果は絶大です。”悲観主義”と題目を上げながら戦った結果、酔 いから覚めて、成功を収めたという、報告の手紙や葉書を、たくさんいただい ています。私たちは、幸福で積極的な境涯を根幹にして、人々の心を動かし、 鼓舞し、触れるような創造的な道を拓いていかなければなりません。(SGI )スピリット――「心ざし」をもって……。我がSGI会長は、御書講義で指 導されています。(「永遠の経典『御書』に学ぶ第2巻P89~90――英訳:TheE ternalTeachingsofNichirenaishoninp.128-29」「『心ざし』とは『奥底の一 念』です。何に命をかけているか、何を根本の祈りに生きているかという、そ の人の生命の根底の姿です。それは、目には見えない。しかし、いざという時 に現れてくる。それだけでなく、常日ごろから瞬間瞬間、その人のすべてを支 配し、人生を決定づけるのが『心ざし』なのでです。華厳経に『心は工(たく み)なる画師の如し』とあります。心は名画家のように、あらゆることを自在 に描き出すというのです。自分自身の心こそ、我が人生のデザイナーであり、 画家であり、彫刻家であり、建築家なのです」「『心ざし』です。『一念』で す。それは希望といってもよい。祈りといってもよい。潜在意識ということも できるでしょう。自分で自分の未来をどうイメージするか、どういう自分にな ろうとしているのか、この人生で何をなし遂げたいのか。それをできるだけ具 体的に心に描くことです。それ自体が、未来のデッサンになる。そのデッサン にしたがって、実際に素晴らしき人生という名画を描けるというのが『心ざし 』の力です。『一念三千』の法門です。そのイメージ図は具体的で細密なほど よい。その目標を生き生きと心に描き続けることです。まっしぐらに、目標に 向かって進むことです。そうすることによって、刻一刻と、現実の自分が目標 の絵に近づいていくのです。『心ざし』です。心からの願いは必ず、叶えられ ます。不可能だと自分が思えば、そう思う一念によって、可能なものまで不可 能になってしまう。必ずできると確信すれば、すでに実現に一歩近づいている のです」完全なる自由の人生を歩むことは、可能なのです。かつての私は、” 悲観主義者”の人たちに好かれていました。今は、彼らは寄って来ません。私 を非難したり、苛めたり、私から利益を得ようとしたり、私を利用しようとし たり、馬鹿にしたり、恥をかかせようとしたりする人々が、よく見えるように なりました。私は、そんなことはさせません。私が”悲観主義”の奴隷であった ことに気付いた今、私は、本当に人と認め、尊敬することができます。それは 、自分自身を認め、尊敬しているからです。かつて、不幸、悲惨、落胆は、私 の安住の場所でした。今は、壊れることのない幸福境涯にあります。そんなも のがあるとは、思っていませんでした。現在の幸せな境涯から、前に戻りたい などと思うことは絶対にありません。以前は、観念で仏法を実践していました が、今は、心で実践しています。宿命転換とは、「起きる」ものではなく、「 成す」ものであると分かりました。どうか、芸術家の友人たちを、大切にして あげてください。彼らは、あまり社会から大切にされていません。芸術家は、 時折隔絶された世界に住むことがあります。そこは、完全に孤独な世界です。 ですから、人の親切が、心からありがたく感じられるのです。そして、弘教に も通じて行くのです。人類の中で、自分自身は、たった一人しかいない存在で あることを、忘れないでください。だれもが、そうなのです。ですから、まっ たく同じパフォーマンスなどないし、同じ作品も、詩も、本もありません。人 間の活動のすべてには、芸術化が影響を与えています。飲み物を入れたコーヒ ーカップ、身に付けた服、乗っている車、住んでいる家、テレビ、映画、ラジ オ、劇場、音楽、靴から靴下にいたるまで、私たち芸術家の創造的なイマジネ ーションから生まれてくるのです。私は、ブロードウェイ・スターのトミー ・チューンが、著作の後書きに記した、人生について語った言葉が好きです。 「すべては、完璧に単純でありながら、いらつくほど複雑である。これは、舞 台稽古ではない。本番だ!(ThisistheShow!)」私たち芸術家は、自分自身が 偉大な成功を収め、幸せと成功と富とを得ることが可能です。それによって、 もっともっと広宣流布に貢献することができるのです。世界は、私たちを必要 としています。私たちは、芸術を通して、人々の人生をご本尊へと向けること ができます。持って生まれた才能を、積極的に生かしてください。文学の世界 から、声の表現の世界から、ギャラリーや美術館の壁から、ステージの上から 、テレビから、ラジオから、そして、映画館から――。芸術は、ほかの何より も、人の心に触れ、人の心を動かす力を持っています。私たちは、こんなにも 力強い人生を歩んでいるのです。 Tweet