投稿者:寝たきりオジサン 投稿日:2016年12月17日(土)21時46分44秒   通報
『まえがき』

「誰もが正しい声を待っている」と、あのアメリカの民衆詩人ホイットマン
は謳った。

「正しい声の発する言葉には

すべて格段に深く、美しく、

それほどの器官と魂でなければ
とても望めぬ新しい響きがある」

その「正しい声」、そして「新しい響き」を放たれゆく、偉大なる師・戸田
城聖先生にお会いしたのは、六十年前(昭和二十二年)の夏八月十四日の夜で
あった。

敗戦より二年。時代は、精神の柱が崩れ落ちたような混乱期である。

先生は四十七歳。私は十九歳。

師は一人、真実の弟子を探していた。
弟子は一人、生涯の師を求めていた。

いかなる宿縁か、あの日、あの時、師弟は出会った。

私は、即興の一詩を捧げた。

「旅びとよ

いずこより来り

いずこへ往かんとするか」

「嵐に動かぬ大樹求めて

われ地より涌き出でんとするか」

それは、戦争に踏みにじられた青春にあって、暗から明への劇的な第二幕の
始まりであった。

戸田先生なくして、私の人生はなかった。

そしてまた、その先生の弟子が戦い勝たずして、世界に広がりゆく創価学会も
、滔々たる妙法の広宣流布もありえなかったであろう。
庶民の幸福の詩も、青年の栄光の詩も、創価の常勝の詩も、

この最も峻厳にして崇高な師弟の結合から、奔流となってあふれ出る。
それゆえに私は、誇らかに「師弟」を詠(うた)う。

いかなる悪口罵詈の嵐があろうが、誰憚ることなく、「先生!」と仰ぎ、「
先生!」と呼びかけ、

師の正義と真実を、魂の流露のままに、全世界へ向かって叫ぶ。

これこそが、わが人生の究極の「人間の詩」であるからだ。

釈尊の晩年のことである。弟子の阿難が、まだ明かされていない秘密の説法
を懇請した。

すると、釈尊は厳しく叱咤された。

「何ものかを弟子に隠すような教師の握拳は、存在しない」━━「握拳」の
中に隠しておくような秘伝などないのだ、と。

日蓮仏法でも、広々と説かれている。

「一人を手本として一切衆生平等」

蓮祖は、御自身の師子王の大闘争を通して、「凡夫即極」という生命の極理
を、全人類のために明確に開いてくださったのである。

わが師も、開けっぴろげだった。

「三代会長は青年部に渡す」と語られ、「三代会長を支えていくならば、必
ず広宣流布はできる」と言われたのも、大勢の同志が聞いていたことだ。

だが、その叫びを知りながら、ある弟子は背き、ある弟子は裏切り、忘恩の
畜生と化した。
師弟を口にするは易く
師弟に徹することは難し。

私はただ、六十年前の誓願のまま、誠実に、師弟の道を走り抜くのみだ。

わが青年よ、

わが弟子よ、

この大道に続け!と師子吼しながら━━。

心に師を持った人生に、絶望の暗闇はない。

正義の師弟に生き抜く人は、限りない青空を胸中にいだいた勝利の人だ。

以前、私は、ある会合で、
「今日は『自分自身の万歳』をやろう」と、参加者に提案した。

「自分万歳!」━━意気軒昂に万歳三唱をした同志の顔(かんばせ)は、な
んと晴れやかであったことか。

我らの「人間の詩」とは、生命の奥底から、
「自分万歳!」と言い切れる、
悔いなき人生の勝鬨を永遠に轟かせていくことである。

ホイットマンは力強く詠った。

「おお、わたしの雄々しい魂よ、
おお、先へ先へと進んで行こう」

私は、かけがえのない
「生命勝利の讃歌」を綴りゆかれる、わが尊き友に最敬礼して、この詩集を捧
げたい。

六十周年の八月二十四日朝
二〇〇七年十月十二日発行
詩集第5弾
『人間の詩』より.