2016年12月7日 投稿者:ダメよ~ ダメダメ 投稿日:2016年12月 7日(水)18時59分23秒 通報 編集済 という大B(大ブロック。現在の地区であるが、地域の範囲は現在の支部くらいだと思われる) 幹部以上に月一小冊子が配布されていた。昭和40年代後半から昭和50年代にかけてのことです。 手元にその中の昭和52年(1977年)9月の『前進』がある。父母の形見でもある。 この9月号の前書きである前文「前進の鐘」には当時の若き原田副会長(現会長)が「開道の逸材 出でよ」と題して健筆を揮っている。そして「革命の源泉」と題して、当時の池田先生の御指導が紹介されている。現在の様に全国ネットで本幹等の先生の御指導にお聴きする事は出来ない時代。職員や代表の幹部しか参加出来ない、お聴きすることも出来ない時代の唯一の糧だったと思います。 この9月号の「革命の源泉」には、「無疑日信(むぎわっしん)の学会っ子を育てよう」とのタイトルである懇談会での青年部の人材感についての質問に答えら御指導された内容が掲載されている。 「人材の条件については、さまざまな観点から論じられようが、学会には学会にふさわしい人材が必要である。そこで最も重要なことは、心底からの学会っ子であるか、どうかということだ。それは簡単に言えば、我が身に詐親(さしん)なく、ありのままの姿で、広宣流布のために進んでいく人のことである。」と 又、「学会後継の人材には、地位や名誉など問題ではない。いざという時、例え行き先が地獄であっても、喜び勇んでその地獄の衆生を救い切っていく人こそ真の人材であり、学会っ子なのである。この観点からすれば、指導がうまいとか、講演が素晴らしいといった種々の要素はまだ一要素にすぎない」と御指導されている。 引き続き、「学会は永遠に不幸な民衆の味方」とのタイトルで8月度の全国県長会議での御指導が掲載されている。 会長はまず、「今日までの宗教史の流れを俯瞰(ふかん)してみた場合①支配階層に直結②不幸な民衆に直結—という、二つの流れに大別できる」と指摘。また宗教本来の使命からいっても②を目的とし、不幸な民衆の側に立つべきはずのものが、時の変遷とともに、ほとんどの宗教が①の流れに従属し、いわゆる自己保守に堕してきた」と鋭く論じた。 「これに対し我が学会は、常に権力の側とは一線を画し、徹底して不幸な民衆の側に立つ一方、その根底をなす普遍の大白法—日蓮大聖人のご生涯に直結の運動を展開してきた。」と。 これ以上は長くなるので添付の写真でご確認下さい。 現在の信濃町界隈をの事を予測されていたかのような御指導なのでは?と思われます。 Tweet