2014年9月24日 人材の育成③ 投稿者:河内平野 投稿日:2014年 9月24日(水)10時47分30秒 返信・引用 こうした懸命な努力、幾多の労苦のすえに、約五年の歳月を費やして、「琵琶湖疏水」は見事に完成した。 彼の二十代の全精力を投入しての《魂の仕事》であった。 何ごとであれ、中途半端は敗北である。 死に物狂いになってこそ、歴史を残すことができる。本当の仕事をなすことができる。 ともあれ、この疏水がどれほど近代の京都を潤し、蘇生させたか――その効果は計り知れない。 若くして大事業を遂行した田辺青年。 だが、それはただ幸運や才能のみでできたものではない。 彼の場合も、学生時代が、実力を蓄え、苦難をものともしない強き自分をつくる《大いなる修行時代》であった。 工部大学校では、彼は、厳格にして独創性を重んじる外国人教師――つまり《師》につききって、学問を徹底してやりぬいている。 また、幼くして父を失った彼は、経済的苦労が絶えず、頼るべき親戚も破産。 多額の借金を背負いながら学業を続けざるをえなかった。 しかも不運なことに、右手を機械で打って傷つけてしまう。 彼は痛みをこらえながら、不自由な左手で、わが運命を変えた卒業論文を作成したのである。 何があっても、彼は絶対に負けられなかった。 彼の父はかつて幕府の家臣であった。 いわば《歴史の敗者》に追いやられた一家である。 学びに学び、みずからの本当の実力を磨いていく以外、残酷な社会で勝ちぬいていく道はなかった。 しかし、この不屈の「負けじ魂」、そして社会への雄飛を深く心に期した執念の勉学こそが、後の大事業において、あますところなく開花し結実したといってよい。 未来の勝利へ、今、どんな「種子」を植えるか――。そこに、青春の戦いがある。 ひよわな「種子」に豊かな未来への実りはない。 鍛えることである。戦うことである。 当時、時代背景は異なる。 しかし、いつの世も、社会は青年の新しきバイタリティー(生命力)と、新しき創造性を要請してやまない。 私どもはますます青年の育成に全魂をかたむけてまいりたい。 《青年を自分以上に偉く、自分以上に立派に育てよう》――そうしたリーダーの一念があるところに、みずみずしい発展の道、栄えの道が開かれていくのである。 【婦人部・青年部合同協議会 平成三年九月二十一日(大作全集七十八巻)】 Tweet