投稿者:赤胴鈴之助 投稿日:2016年11月30日(水)16時05分57秒   通報
ひらがなプロジェクトに投稿します。
報恩抄ひらがな 第16章から第25章まで

徹してる 好きな仕事で勝負かけ
好きでなかったら、努力の甲斐がありません。
嫌いで仕事続けて、財産きづいても、喜びは半減します。
ビル・ゲイツは6兆円の資産があるそうです。ずっと世界一の大富豪です。

人は必ず死にますよね・・・、この資産は来世には持っていけないのです。
だから、法華経では、どう生きるか、どう死ぬのかを説いているのです。

死があるから、生のありがたさが実感できる。生きる醍醐味が味わえる・・・。
これは、まさに人生の”奥義”です。
法華経には生き方の振る舞い、死ぬことの意味を教えてくれているのです。

便起僑恣。而懐厭怠。不能生於。難遭之想。恭敬之心。
べんききょうし、にえんだい、ふのうしょうお、なんぞうしそう、くぎょうししん。

もし仏が死なないとしたら、すぐに威張り、わがままの心を起こして、努力を怠り、仏に対して慕う思いや、
仏を敬う心を生ずることができないだろう。

仏や師匠や先生や先輩など、人生の成功の仕方を教えてくれる人が、何時までも居るのなら失敗しても、
助けてくれるだろうと、自ら悩んだり、努力をしないダメな人間になるだろうと、法華経には説いています。

男なら、パチンコや競馬や、ピンサロや居酒屋で遊ぶ方が楽しいと思うのが当たり前、それを、便起僑恣と
教えられています。

仏法では、「師恩」の大切さを説いています。
弟子たちが傲りや甘えを乗り越え、屹立した「信仰即人生」の正道を歩めるよう、生命を削って
薫陶するのが師匠です。

ここは、そうした仏の大恩をかみしめるところです。
弟子たちは、厳粛な気持ちで自らの修行の姿勢を正し、千載一遇の師の教えを全
生命をもって受け止めていこうと、真の求道心を起こしたのではないでしょうか。
その求道心こそ善根を生み、崩れざる幸福境涯をもたらすのです。

仏に「頼る人」を作っても、真の救済にはなりません。

「求道の人」にして「自立の人」である真の信仰者を作っていくことが、仏法における本当の救済なのです。

それでこそ、すべての衆生を救うという仏の願いが叶うのです。

末法では唱題こそ最高の善根です。