2016年11月29日 投稿者:アルベア 投稿日:2016年11月29日(火)06時06分32秒 通報 「一瞥」体験とは、 「一瞥」とは「ちらっと見た瞬間」を言います。「捨て身」「瞬間の妙」「動物的勘」等、 感覚運動的な身体現象です。思考・概念ではありません。「見た」という瞬間であり、解りや すく言うならば「スイッチ」が入った瞬間、触れた(見た)瞬間を言います。 武道の達人・職人などに見られる「絶妙な技の瞬間」のようなものです。 現代人は「一瞥」という感覚は、様々な情報・周辺刺激により覆われ、体感・体験できない 人々がほとんどです。 「電撃が走る」「電光石火」「瞬間的に衝撃が走った」等の「体感・体験」であり、対人関 係・対自然関係で、主体として「自分自身」が揺さぶられる「電気的」「電磁的」反応です。 戸田先生の「獄中体験」の場面は「一瞥」体験としてストーリーとして描かれているので す。 刀剣による真剣場面で「対峙する時」瞬間的に感じる感覚です。映画や小説等では「こやつ は、できる」「俺は負けた」等と表現されています、感知、察知の感覚的な「眼差し」現象 を言います。 さて、戸田先生・池田先生の「眼差し」は「奥深い」「鋭い」だけではなく、対峙する相手の 生命を「反転」させる「切れ味」が常にありました。このような「眼差し」は「非二元」の 体感・体験者に共通する「眼差し」感覚です。 戸田先生・池田先生に直接、お会いし、激励され、人生が180度変わった方々を検証する と、お会いした後に成長する人、落ちていく人、分別されている現象が見られているので す。 また、聖教新聞や大白蓮華に紹介された、取材を受けた等、創価の片鱗に触れた方々も同様 に、成長する人、落ちる人が見受けられています。(今は、なぜか、そうした現象は起きて いません) この異なり、差に「気づく人」は皆無になっています。 「生命現象」という視点から言うならば「仏の働き作用」による「分別」という事です。側 近の方々、こうした働き作用により峻別されているのです。その結果、いろいろな大変な現 象化がもたらされているのです。 男女・年齢・役職・教学等、一切関係ない「生命現象」なのです。 「一瞥」体験とは、対峙する相互間の「瞬間の妙」であり、思考・概念ではない「生命現象」 なのです。 このような「一瞥」体験は、いつもお伝えしていますが古今東西の「宗教体験者」といわれる 人々に共通してもたらされている現象です。思考・概念の「思い込み」「信じ込み」の人々には 見られない現象です。 Tweet