投稿者:寝たきりオジサン 投稿日:2016年11月26日(土)19時37分17秒   通報

学会は、いつまでいっても味方はいない。いざとなったら味方は一人もいない。
他は皆な権力の味方である。味方を作りながら生き延びている。

学会は、学会で生き抜いて人を守るんだ。
他から味方が来て、守られながら戦うのとは違うんだ。

一人も味方はいない。これからもいない。それが如来の所作である。
学会は、これからも大難数知れずだ。何回もあるんだ。

その時に、狼狽えたり、言論問題の時のように、はかない動作があっては
ならない。その時こそ、守り激励する人、その時こそ、広布の真実の血脈だ。

言論問題の時、私の体は倒れた。 その時、青年部、本部を信じた。しかし、
そうではなかった。 人間とは、そういうものなんだ。 しかし、私がいた。

私が敵と戦った。学生部出身から裏切り者が出た。拠点に出入りして、
批判をする人が多かった。 私は全部知っている。 そんな事で21世紀に生き、
伝統を築いていけるか!全部小細工だ。 頭が良い、そんなことは関係ない。

そういうのは自分の論理で学会を計り、学会を撹乱しようとする人だ。
人間を守る真実の指導者になれ。悪い時こそ、人の心の事を大切に。
学会の気流が良い時ばかりとは限らない。 私がいる時には、何と言われようとも
構わない。

身体が達者ならば、やっていける。 今、皆がやっている学会活動は、
学会活動ではない。皆、自分の為にしかやっていない。 私の為にではない。
私がいなくなったら、どうなるんだ。 私は50になったら動けないぞ。
私の体は私が良く解っている。

54年までなんだ。開かれれば2001年迄開かれる。戸田先生に仕えていた頃、
実は、私は死のうと思っていた。この時に学会の鏡を作っておこうと思っていた。
師よりも先に死のうと思っていた。

師に仕えていく弟子の姿を作っておきたかった。
27.8で死ぬはずであった。その時、戸田先生は、この事を見抜かれて、
「断じていかん!」と言った。 戸田先生との生命とを交換したんだ。
師弟とは、そういう厳しいものなんだ。 やくざに狙われても、それを私は守り、
支えて来たんだ。

今、これが、どう開かれていくか見ていく。 会長就任とは、死ぬか、
重病になるか、気が狂うか、殺されるか、この4つなんだ。 それが学会会長の
運命なのだ。それほどの魔との戦いだ。 御書を通して話す、座談会に出てくる
というのは簡単だ。

私にとって、宇宙自体が魔であり、日本中が魔である。我々は釈迦仏教ではない。
日蓮仏教即戸田先生の人生図なんだ。人生絵巻である。これからも10年20年、
大変な道を歩む。 どう戦うか、私がじっと見ている。

次の学会を作って欲しいんだ。腰抜けになったり、狼狽えたり、
臆病者にはなるな。人間は狡いから血脈から離れてしまう。真実の血脈から
離れてしまってはいけない。

何人の指導者を育てたかで決まる。次の学会を作るのは誰かだ。
奇しくも、湊川で行われた。不思議だなぁ。