投稿者:カンピース 投稿日:2016年11月22日(火)08時59分5秒   通報

おはようございます。森中驚愕部長サマ、首都圏女子教学部長講義での成仏用心抄の講義、誠にご苦労様でした~。(笑)

でも、肩書きがSGI驚愕部長になって無いデスね~。文句言っときましょう(笑)

「オレを誰だと思ってるんだ!」・・・「驚愕部長さんだぞ!」な~んて(笑)

ところで、ドコを講義されたんですか~? 小生的にはゼヒここを講義してもらいたかったで~す。

「但し師なりとも誤ある者をば捨つべし又捨てざる義もあるべし世間・仏法の道理によるべきなり、末世の僧等は仏法の道理をば・しらずして我慢に著して師をいやしみ檀那をへつらふなり、但正直にして小欲知足たらん僧こそ真実の僧なるべけれ」(P1055~1056)

*通解*
ただし、師匠のように思う者であったとしても、誤りのあるものは捨てなければならない。しかしまた捨てないという場合もある。

これは世間や仏法の道理から考えなければならないことで、今の執行部のごとく、人権無視の処分や除名を繰り返す者は、「一人の人を大切に」という
師匠の教えにも、世間的にも間違っており、そのことをふまえて判断しなければならない。

末法の僧は今で言えば本部職員にあたるであろう。その者は仏法の教学的な道理や師匠の教えも知らないで、ただ「オレは本部職員だ」「オレは偉いんだ」
「末端会員とはちがうんだ」等々の慢心が著しく、師匠である池田先生をも「時流なんだ」「時代が違うんだ」などと、過去のものあつかいをして
会員には、「財務は大善」などとカネ集めには執着し、内心ではバカにしていても、おくびにも出さず会員に媚び諂っている。

ただ、ひたすら正直に師匠・御本尊を求める者こそ、今現代における真の僧と言えるのである。

こんな具合に講義したら、いいと思うんデスが、いかがですか~(笑)